飼い馴らされた日本人


アメリカに飼い馴らされた日本人は、「誇りの骸」を「平和」と呼ぶ。アメリカの対日「国家100年の大計」は、既に完成しているのではないか。

闘う意志がないのは、平和主義ではない。敗北主義という。

平和は闘い取るものだ。闘い取るから、平和の大切さが解る。平和のため血を流し、命を落とすから、平和の尊さが解る。

戦後日本の「平和」は、強いアメリカ軍が勝ち取った平和のお零れを投げ与えてもらっているものだ。用心棒アメリカを、多額の金を出して雇って得た「平和」。



隷属・平和主義


アメリカが「神・仏」で、その力に依存する、真の他力本願の平和だ。だが、これは「平和」ではない。単なる「隷属」である。アメリカへの服従なのだ。

戦いに一度敗けたから、国を護ることを放棄する、しなければならない、という12歳の少年のような発想はどこから浮上してきたのか。マッカーサーの白昼夢からだ。それを、英知として「平和憲法」の中へ書き込んだ。

無防備が最強の武器と夢見たマッカーサーは、やがてそのお伽話のような夢から目を醒ましたが、未だに醒めていないのは日本国民。

浦島太郎でもあるまいに、目が醒めた時、日本国民が直面する現実は、強者生存だけの自然淘汰の世界である。

日本国民は己の歩む道も見出せないまま、己の夢もロマンもなく、世界を牛耳るアメリカの国益の餌食となり、利用され、感謝も尊敬もされず、アメリカの極東の砦として、終焉を迎えるのだろうか。


誇りなき民族とその山河


我々の魂と誇りの情炎が、二度と燃え上がることもなく、国の宝であるべき若者たちは、国の歩みも知らず、激情の喜びや有終の美も知らず、感動する夢やロマンを見出せず、我々富国日本の住民は、2000年の国史をむざむざと犠牲にして、打ち拉がれた精神状態のまま、寂しく亡国の憂き目を見なければならないのか。

「國破れて、山河在り」は、誇り高き敗者が、戦乱で壊された夢の跡に立ち、歌った希望の詩だ。歴史に夢を活かすため、夢に歴史を持たせるため、我々が自分の手で、「占領の呪縛」の鎖を断ち切らねば、脈々と絶えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く。


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