日本の制空権を握るB29


東京・武蔵野で零戦を製造していた中島飛行機工場は、アメリカの目の敵(かたき)にされ、B29の大編隊の集中爆撃を何度も受けた。多くの技術者も勤労奉仕をしていた若い女子たちも死んだ。

2月25日には、赤坂離宮の大宮御所も全焼した。4月13日には、明治神宮も皇居も焼夷弾による被害を受けた。

5月14日、B29・480機、名古屋に大空襲を行なう。美しい名古屋城焼失。死者、数知れず。



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福岡、大阪、神戸、福井と、次々に日本の街は燃え上がり、灰となる。大阪は、3月13日から14日にかけて、B29・300機の大空襲に曝され、通天閣、四天王寺五重塔、道頓堀も全焼し、水の都大阪は、黒い灰の骸となった。だが、B29は飛来し、灰の上に無数の焼夷弾を降らせた。

東京でさえアメリカ空軍が低空で攻撃をしてくるのは、日本には戦闘機が殆ど残っていなかったからだ。石油も完全に底をついていた。日本の太平洋艦隊は一時間に40トンの石油を使っていたのだ。


資源不足は愛国心で補う


惨めなことに、日本全国で、国民はガソリンの紛(まが)い物をつくるため松の根を掘り起こし、松脂(まつやに)を搾っていた。「4斗(約72リットル)の松根油(しょうこんゆ)は戦闘機を一時間飛ばせる」と必死の姿が報道されている。戦闘機を作るアルミニウムもなく、特攻専用機は木材で作られた。

日本政府は、海外から武器や石油を買うため、金、銀、宝石が必要であると、国民にそれらを差し出すよう、要請した。目前に迫った敗戦にも拘らず、愛国心に駆られた国民は、金、銀、プラチナ、ダイヤモンドなどの宝石を出した。

寺院の釣鐘も武器を作るために溶かしていた。

同じような事態が、百数十年前にもあった。ペリー提督が太平洋艦隊で徳川日本に脅しをかけた時、うろたえた徳川幕府は天皇に願いを出し、大砲を作るために必要な寺院の釣鐘を差し出すよう天皇が命令してくれと懇願した。

新型戦闘機開発への望み

この絶望的な状態の中で、日本政府は最後の力を振り絞ってジェット・ロケット・エンジンの戦闘機を開発していた。

ナチス・ドイツでは、既にロケット爆弾V1、V2に成功しており、それをロンドンに撃ち込んでいた。このロケット弾は物凄い音を立てて飛んできて、勇敢なロンドン市民さえも恐怖の坩堝(るつぼ)に陥れた。

日本製ジェット・エンジンについて、アメリカ陸軍省軍事情報局は占領直後、「そのエンジンの設計の幾つかは良くできており、時間がもう少しあったなら、太平洋で連合国軍の空海作戦に凄まじい脅威になったであろう」と評価した。