降伏への最後通牒


1945年7月26日、ポツダム宣言が発表された。

ソ連は宣言に署名しなかった。もし陰謀でないとすれば、これは外交上の儀礼であったと見るべきか。と言うのは、ポツダム宣言の最初の草案文(1945年7月1日の草案)には「USSR」と「ソ連」がカッコ付きで含まれており、「もしソ連が参戦していなければ、カッコ内は削除する」と注釈がつけられていたからだ。

7月26日、ソ連はまだ参戦していなかった。

同午後4時、アメリカ政府はポツダム宣言の英文テキストを日本に向けて放送し始めた。国務省の日本語専門家がチェックを重ねた後、最初の日本語による放送は午後6時、サンフランシスコから送られた。

「この後、日本語による放送は、アメリカ西海岸の11カ所の短波送信所、ホノルルの短波送信所とサイパンの中波送信所から繰り返し行われた。西海岸からは12の言語で放送された。この宣言の放送が完全に、繰り返し行われるように、全ての番組は中止された」と担当係官はホワイト・ハウスに報告した。

翌日、トルーマンは次のような報告を受けた。

「日本は降伏への最後通牒を無視し、悲惨な結末へ向けて戦うでしょう。太平洋における我が空軍の攻撃に対する日本軍の抵抗は殆どないのと同じであります」。

日本は既に完敗していた。全力を使い果たし、倒れていたのだ。

ポツダム宣言は、敗戦国・日本帝国に対する連合国の決意を明確にしていた。

「日本国民を欺き、世界征服の道へと惑わした者」に対する懲罰、「日本の戦争能力の完全な除去」、そして「言論、宗教、思想の自由ならびに基本的人権の尊厳の確立」を軍事占領下の日本で達成する。

天皇は、「日本国民を欺いた者」の1人なのだろうか。ポツダム宣言は、日本帝国の運命がかかっていたこの「人」について、一言も言わない。

天皇につき曖昧にしておけば、日本がポツダム宣言を受け入れる可能性が高くなると、米国は狙った。


鈴木貫太郎首相、ポツダム宣言を「黙殺」


その狙いは裏目に出た。

鈴木貫太郎首相は、ポツダム宣言を「黙殺」すると返答した。

鈴木貫太郎内閣

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8月2日、アメリカ軍情報機関は、「日本がポツダム宣言に反対する理由は、皇室の存続について明確な保証がないこと、戦争犯罪人を裁判にかけること、の2点です」とトルーマンに伝えた。

アメリカの情報分析は実に正確であった。

同じ日、OSSはトルーマンに、スイス・ベルンで和平のために動いている日本人が「連合国は東京の放送がポツダム宣言について言っていることを真面に受け取るべきでない、東京での放送は、日本国民の士気を維持するための宣伝に過ぎない、と言っております」「日本政府の公式回答が東京のラジオによってなされない場合、真の回答は公式のチャンネル、加瀬公使か岡本中将を通じて伝えられることになろう、と伝えてきております」と報告した。

モスクワを通じた「休戦・和平工作」が無残な失敗に終わったので、日本帝国にとって、スイス・ベルンにおける連合国との接触(加瀬俊一)が唯一の頼みとなった。

8月4日、「第20空軍隊が機雷を投下し、日本の主要港全てを封鎖した。日本の完全封鎖がいま成立した」との報告をトルーマン大統領は受け取った。日本の敗北は決定的だった。

しかし、トルーマンは既に原子爆弾を使うことを決心している。

無条件降伏の勧告を「黙殺 ignore」したため、日本帝国政府(鈴木内閣)はトルーマンに原爆使用の絶好の口実を与えてしまった。