日本人を原爆で殺せ

ヒロシマの原爆投下の2日後、ジョージア州選出の上院議員リチャード・B・ラッセルはトルーマンに提案書を送った。


「我々は甘い言葉で日本の降伏を誘う努力など止め、日本が無条件降伏を受け入れさせてほしいと土下座するまで戦争を続けるべきだ」「直ちに戦争を終わらせるに十分な数の原子爆弾がなければ、それが製造されるまでTNT爆弾を使い、戦争を続けようではないか」


トルーマンはラッセルに返信を送る。

「日本が恐ろしいほど残虐で、非文明的な国民であることは分かっている。しかし、彼らが野獣だからといって、我々も彼らと同じように行動すべきではないと思う」

「ロシアが参戦すれば、日本はすぐにでも降伏する」「アメリカ兵士の生命をできる限り救うのが私の目的であるし、私は、日本の婦女子に対しても人道的な気持ちを持っている」

長崎へ投下

トルーマンは、「日本はすぐにでも降伏する」と知っていた。にも拘らず、8月9日、長崎に2発目のプルトニウム製原爆を投下した。

暗号名「ファット・マン(デブ)」は、身長3・2メートル、体重4・5トン。この綽名(あだな)は肥満であったチャーチル首相にちなんでいる。

一瞬にして、8万人から10万人の市民が殺された。この大量虐殺は、日本の真珠湾攻撃への報復をこめた「止めの一撃」か、無数の生体モルモットを使った再度の科学実験の成功だったのか。それとも、ソ連のアジアとヨーロッパへの進出を止める劇的な警告だったのか。

長崎のキノコ雲

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ニュー・メキシコで原爆実験が成功した4時間後、「Little Boy」と「ファット・マン」をサンフランシスコからサイパン島の真南にあるティニアン島へ運んだのは巡洋艦「インディアナポリス号」だ。

この艦は呪われていたのか。

7月26日に「荷」を下ろし、フィリピンへ向かっていたこの戦艦は7月30日の午前零時過ぎ、日本の潜水艦に魚雷2発を撃ち込まれ、大爆発を起こし、沈没した。乗員1996名中、880名は即死。60名溺死。740名は鮫(さめ)に襲われて死ぬ。生存者、316名。

事態の重大性故か、艦長チャールズ・B・マックヴェイは、同年12月に軍法会議にかけられ、有罪となる。

空しい抗議

「長崎」の翌朝(8月10日)、日本政府は「原子爆弾は無防備の市民を無差別に殺戮する毒ガスと同じ、恐るべき兵器であり、アメリカ人の野蛮さは許されるものではない」と在スイス加瀬俊一を通じ、アメリカ政府に抗議した。

毒ガスに類するものは戦争においてさえも決して使用されるべきでない、とアメリカは世界中に説教していたではないか、と日本が叫んでも、アメリカは勝利の歓喜で沸き返っており、誰も聞いておらず、日本の空しい抗議は国内向けに終わった。