マッカーサー厚木飛行場に上陸

1945年8月30日、午後2時5分、気温33・6度、快晴。焼けるように熱い太陽が照りつける厚木飛行場。マッカーサー専用の軍用機C54「バターン号」が着陸する。

マッカーサーはトレード・マークのサングラスをかけ、有名なコーン・パイプ(トウモロコシの穂軸を刳り貫いて作ったパイプ)を口にくわえ、丸腰で降り立った。このサングラスとパイプは、マッカーサー記念館に陳列してある。

マッカーサーの日本上陸について、『朝日新聞』は次のように報道した。


「銀色の梯子(はしご)が下された、扉が開いた、一同固唾をのむ、やがてマックアーサー元帥が現れた、薄い上着なしのカーキ服に黒眼鏡、其に大きな竹製のパイプ、南方生活の長い彼としては割合に陽灼けせぬ薄赤い頬をしている、66歳にしては若い、梯子を下り前扉のところでややしばらくたたずみ、左右に眼をくばって、写真班のためにポーズをつくる、やがて梯子を下りて飛行場の夏草の上に立った。大男である、6尺1、2寸もあろうか」(原文は旧かな)


桧舞台に立った歌舞伎役者が「見え」を切っているのと同じ雰囲気だったのだろう。

征服者


マッカーサーは満65歳。1880年1月26日、アーカンソー州リトル・ロックの軍人の家に生まれ、1903年、ウエストポイント陸軍士官学校を群を抜いた首席で卒業した。

第一次世界大戦ではフランスで戦線に加わり、彼の勇敢さはその時からすでに伝説的であった。彼の父も軍人で、アメリカの植民地フィリピンの総督であった。マッカーサー自身、フィリピンで永く生活し、フィリピンを愛し、「第2の母国」とまで言った。

厚木からマッカーサーの仮宿舎、横浜のニューグランド・ホテルへの道の両側には、素手の日本兵が道路に背を向けて、恰もマッカーサーの顔を見ると罰が当たるのではないかと思わせるように、直立不動で立たされていた。

征服者マッカーサーを乗せた車が走る。「力」の誇示である。

マッカーサーは9月17日、午前7時、東京の皇居前にある第一生命ビルに入る。ここがマッカーサーの司令部(General Headquaters, GHQ)となる。第一生命ビルから、アジア・太平洋戦争の敵軍大将「天皇」を見下ろせる。

アメリカ大使館が彼の宿舎となった。

26.org.JPG