トルーマン、ソ連を警戒


トルーマンは、大統領特別顧問クラーク・M・クリフォードにソ連の動きについて報告書を作成するよう命令した。

クリフォードは、トルーマン、ケネディ、ジョンソン、カーター大統領に仕え、ジョンソン政権の国防長官も務めたが、1992年、金融汚職で有罪になった。この事件はアメリカで大々的に報道されたスキャンダルだ。1998年、98歳になる2カ月前、死去した。

クリフォードはトルーマン大統領に悲観的な報告を提出した。

「ソ連の指導者は、アメリカや他の資本主義国家との戦争は不可避だと信じております。この戦争に備え、軍事力の強化と勢力圏の拡大に全力をあげており、彼らはあらゆる暴力手段を使って、敵と思ういかなる国をも攻撃するでしょう」

クリフォード自身が草案を書き設立された巨大スパイ機構のCIAも「ソ連は、アメリカが日本を対ソ連の強力な攻撃用の要塞にするつもりだと信じている」と、クリフォードの結論を支えた。

アメリカの核優位


ソ連は懸命に軍事力の増強をしていたが、原子爆弾を持っていなかった。

陸軍省軍事情報局はトルーマン大統領に、「アメリカは、核の独占によって極めて有利な地位にあります。この独占が続く限り、アメリカには外部からの攻撃はあるとは思われません。しかし、この核独占が失われた時は、アメリカは侵略戦争を企む国家の最初の攻撃目標になるでしょう」と警告した。

アメリカは恰(あたか)もソ連に威圧をかけるかのように、1946年7月1日から12年間、南太平洋の美しいビキニ環礁で原爆・水爆の実験を23回行なった。

ソ連が原子爆弾を開発する危険は差し迫っているのか。

「情報に通じた人たちによれば、5年から10年後というところではないか」と、1946年10月24日に軍事情報局は予測している。それから、3年後、トルーマンはソ連が原子爆弾の実験に成功した、との報告を受ける。

原子力時代の夜明けにあって、アメリカの国防は、原子爆弾の独占をできる限り長く維持することによって達成できると考えられた。アメリカの考えは、広島に原爆が投下された2日後、チャーチルがトルーマンに伝えた理想的な思いとは大違いである。


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