鉄のカーテンが降ろされた


チャーチルは、8月8日には、驚くほど楽観的だった。

広島に Little Boy が落とされた後、長崎にファット・マンが落とされる前の、8月8日だ。


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チャーチルはトルーマンに機密電報を送り、「広島への攻撃は、この新しい力が正義の力となるか邪悪の力となるか、の可能性を持っていることを証明した。あなたと私は、この大戦争を統括する政府の元首として、世界の平和を促進するために、この偉大な力を我々の国益達成のためではなく、人間性を守る道具として利用する意思を表明した共同宣言を発表すべきだ」と述べた。

それから7カ月後、1946年3月5日、チャーチルはミズーリ州フルトンのウエストミンスター大学で、スターリンの冷酷な政府を厳しく攻撃した「鉄のカーテン」の演説をし、「国際連合は武装し、キリスト教文明を共産主義の脅威から護らねばならない」と言った。

トルーマン大統領も聴講していた。

ソ連封じ込め


トルーマンは、国連加盟国に原子力エネルギーの情報を提供すべきではないかというスティムソン陸軍長官の提案について、閣僚全員に意見を差し出すよう求めた。

「独占を」という意見もあれば、「完全公開」という意見まで様々だったが、ソ連の侵略的政策との絡みで、トルーマンがアメリカの原爆独占を続ける決定を出すのは当然であった。

1947(昭和22)年9月26日、新設された国家安全保障会議(National Security Council, NSC)は、ホワイト・ハウスでの最初の会合を開いた。そこで、CIAの最初の正式報告(CIA・1)が提出され、アメリカの外交政策が明確にされた。

「ソ連封じ込めという観点から、地域の重要順位は、⑴西ヨーロッパ、⑵中近東、 ⑶極東となる。日本は、ソ連極東地域に対抗する力として早く発展する資質を持 つ唯一の地域なので重要である」

1948年4月2日、NSCの9回目の会合で、行政担当長官(纒め役)シドニー・サワーは「ソ連に指導された国際共産主義運動の目的は世界支配である」と再確認した。

アメリカが戦闘態勢に入る時の台詞である。