女性アナウンサーも戦犯


日本帝国の対連合軍プロパガンダのために、日本の特別高等警察(思想犯専門の警察)に強制され、「東京ローズ」にされた美しい日系2世アメリカ人アイヴァ・トグリ(戸栗)・ダキノ(1945年4月19日、同盟通信で働いていた日系ポルトガル人ダキノと結婚)は、1945年9月5日、アメリカの「国賊」として横浜で逮捕された。

マッカーサーの日本上陸から僅(わず)か6日しか経っていない。

彼女は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(名門UCLA)で医学部へ入るため生物学を専攻していた秀才で、運悪く1941年7月に叔母の見舞いに日本に来ていた。真珠湾攻撃が12月に起こる。

特高に捕まり、「東京ローズ」にされる。その時、26歳。

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東京ローズはもう2人(アメリカ人とカナダ人の女性)いた。

他の女性は「アメリカ市民権」を放棄したが、彼女はしなかった。母国アメリカに対する愛国心が強かったのだろう。彼女はアメリカ市民のまま、終戦を迎える。その「市民権」故、国賊としてアメリカ本土へ連行されることになる。

巣鴨収容所に抑留され、丸1年間「国賊」の容疑で過酷な仕打ちを受けた。しかし、マッカーサーのGHQは彼女が母国アメリカを裏切ったという証拠を立証できず、1946(昭和21)年10月25日に「容疑なし」とのお墨付きで釈放した。

「東京ローズ」の数奇な運命


アイヴァはアメリカに帰国したいと申し出るが、「アメリカ人か、日本人か、はっきりした証拠のパスポートが無い」と言われ、帰国させてもらえない。

彼女は、1941(昭和16)年の7月に出国した時、米国パスポートを貰う時間がないため、「アメリカで生まれ、アメリカに住所がある」という紙1枚の証明書を手にして、横浜に着いた。

1941年11月にアメリカに帰国したいと申請した時も、帰れなかった。この正式なパスポートを持っていないことが彼女の人生を狂わす。

1947(昭和22)年の春に彼女は妊娠し、翌1月に男の子を出産するが、その乳児は3カ月で死亡。

悲劇はまだ続く。

「東京ローズ」をみすみす逃してしまうのは許せない、と勝手に判断したのがアメリカの著名なABCラジオ放送記者のウォルター・ウィンチェルである。彼は極度の人種偏見に満ちた放送を全米で繰り返し、マスコミを煽動し、とうとうFBI(連邦警察)まで動かし、アイヴァ・トグリをアメリカに連れ戻して裁判にかけることに成功した。

アイヴァはサンフランシスコへ船便で連行された。

差別の裁判


1949年7月5日、彼女が33歳になった1日後、サンフランシスコで裁判にかけられた。

日系に対する人種差別からか、「東京ローズ」への復讐からか、アメリカ政府は弁護側の証人を脅したり、脅迫したりし、検察当局も証人たちに嘘の証言をして被告を不利にすれば金をやると言ったり、AP通信社の記者にまで賄賂(わいろ)を使おうとした。

この無茶な裁判は13週間続き、当時の金額では厖大な75万ドル(平成の金額に換算すると、10〜11億円)も費やした。裁判長は、最初から彼女を有罪にするつもりで、12人の陪審員が無罪にできないような指示を与えるが、陪審員は「国賊」の罪状8件(有罪は死刑の可能性あり)に「無罪」、アメリカの「士気を落とそうとした罪」に「有罪」を言い渡した。

「禁錮10年、罰金1万ドル、市民権剥奪」。

彼女は6カ年刑務所で過ごす。看守たちからも好かれるほどの模範囚であった。

戦後、政治家や軍人が栄光を求めている間、東京ローズの哀れな運命は、大きな歴史の流れの中、忘れ去られてゆく。