権力の独占


1945年、天皇からマッカーサーへ「権力」が移った。

これは、1868年の徳川幕府から明治帝国政府への権力の移転劇に似ている。

帝国政府が権力を中央集権化したのに対し、マッカーサーはその分散化を試みた。

この違いは表面上だけだ。マッカーサー自身が全能の権力者(独裁者)だったため、権力の分散は起こらなかったし、彼も自分の権力を分けるつもりはなかった。

マッカーサーは、自分が独裁者ではなく、日本国民と日本政府の民主化のための支援者(レフリー)である、との印象を作り上げるため努力したが、それはみせかけだった。日本国民は、彼がアメリカの国益のために日本を使い、天皇さえも利用していることを十分に知っていた。

権力へ追従


マッカーサーが日本の政治・社会制度を利用することは、日本の混乱を最小限に留めるためにとられた賢明な判断であったが、彼は日本国民の間に潜む権力に服従する性格を改善するどころか、助長してしまった。

1868年、徳川幕府から明治帝国政府への大転換が行なわれた時でさえ、国民は国家の「権力」に対する態度を変える必要を感じなかった。権力の交代を国民が容易に受け入れたことは、日本人の「忠誠心」が「権力」そのものに対してであることの強力な証拠である。


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日本人のマッカーサー観


この伝統に照らしてみると、マッカーサーは日本国民の間に2つのマッカーサー観をつくり出した。

⑴ 外国人であるマッカーサーは、「日本」を理解できない。それ故、彼は国家の最高権力を握るには不適格だ。単なる軍事的勝利で、自動的に正統な支配者とはなり得ない。敗北は単に物質的敗北だ。

終戦直後、『産業経済新聞』(『産経新聞』)は社説で次のように言った。

「民族の文化は決して死滅することなく、いかなる外圧もこれを破壊できない。民族の文化は、民族の内なる力を意味する。強力で繁栄している民族が文化的に貧しい民族であることはありうるが、逆に逆境と困窮の中で暮らしている民族が、独自の高い文化を保持することは可能なのである」

この『産経』社説は、アメリカ政府のスパイ機関OSSが、1945年8月17日付報告書、「降伏に対する日本の『反応』」中で英語で引用したものだ。その英文を私が日本語に再翻訳したので、原文と多少違っているかもしれない。

『産経新聞』本社に原文があるかと尋ねたら、1942(昭和17)年11月1日から1948年5月19日までのものは、「本社にも残っておりません」とのことだ。


⑵ マッカーサーは「敗北した軍国主義者」よりは悪くない。マッカーサーは、「民主主義」を象徴する存在として受け入れられた。

マックス・ビショップは、こうした日本の態度を鋭く観察し、日本人は「戦争を始めた理由や責任よりも、戦争に敗けた理由や責任に重要性を置く」と国務省に報告した。

エマーソンも、「日本人の苦々しさと怒りの感情は、以前の敵から、日本の軍人、政治家たちに向けられた」と言っている。