絞首台の跡はサンシャイン・シティ


東條と他の6名の遺灰は存在すると主張する人もいる(佐藤早苗『東條英機の妻勝子の生涯』河出書房新社、1997年を参照)。

7人の最後については、処刑の行なわれた23日の午後、花山信勝(はなやましんしょう)博士が、東京大学印度哲学研究所で行なった内外記者団との会見に詳しく記述されている(『朝日新聞』1948年12月24日)。花山は、7人の最後の3日間を巣鴨で一緒に過ごした教誨師(きょうかいし)で、東京帝大の教授でもあった。

巣鴨の絞首台の跡には、経済大国日本のキラキラと輝く享楽の館「サンシャイン・シティ」が現在建っている。

A級戦犯を特赦


A級「極悪戦犯」は、まだ19人残っていたが、マッカーサーは、この7人の処刑の翌日、12月24日、クリスマス・イブ、生き残っていた17名を全員釈放した。

熱烈なるキリスト教徒のマッカーサーは、「やりすぎた」と良心の呵責(かしゃく)に耐えられず、その罪悪感から「己」を解放するために、これら17人のA級戦犯に特赦を与えたのだろうか。そうであろう。それ以外、釈放する理由もない。

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釈放された岸信介(左)と佐藤栄作(右)


戦後、首相になった岸信介(きしのぶすけ)も釈放されたその1人。「日本財団」の創立者の笹川良一(ささがわりょういち)もその1人。1976(昭和51)年のロッキード事件に深く関わった児玉誉士夫(こだまよしお)もその1人。


戦犯はA級だけではない


B・C級戦犯という人たちもいた。B・C級は、捕虜虐待、民間人の殺害、略奪などの行為をした罪を問われた。終戦と同時に、国内および外地で捕らわれた日本人「戦犯」だ。

1998(平成10)年6月13日に、50年を経て外務省がやっと公開した資料によれば、連合軍7カ国がB・C級戦犯5702人を裁判にかけ、4404名が有罪判決を受け、その内、984名が死刑にされた(『産経新聞』1998年6月14日)。

アメリカは、143名の日本人B・C級戦犯を死刑にした。イギリスは、223名。オーストラリア、153名。オランダ、236名。フィリピン、17名。中国(国民政府)、149名。

外務省はすでに、1950(昭和25)年4月5日現在のB・C級戦犯につき詳しい統計を発表している(『毎日年鑑』1951年、110頁)。1998年に公開された数字とほとんど同じだ。フランスは52人に死刑を宣告し、20人を処刑した。

ソ連と中国(北京政府)で戦犯として裁かれ、死刑になった日本人の数は、未だに不明である。スターリンは、戦犯でなくとも捕虜なら殺しても問題はないと思っていた。毛沢東も自国民数100万人を粛清したと言われている。

彼等にとって、日本人は全員戦犯だったのだ。