食糧不足に拍車・台風襲来


1945年の農作物の収穫は、冷害と、台風の被害と、肥料不足で大きな打撃を受けた。

この年の夏、冷害は富山、岩手、青森の各県と、北海道に大きな被害を齎(もたら)した。9月17、18日にかけて西日本、特に広島県を襲った「枕崎台風」は、死者・行方不明者3756人の犠牲者を出し、田畑にも大打撃を与えた。

その1カ月後、10月10日から「阿久根台風」が鹿児島に上陸し、死者・行方不明者451人が出た。田畑も水浸し。

収穫が良好だったとしても、マッカーサーは「1946年の日本国民のぎりぎりの生存」を確保するため、150万トンの食糧輸入を計画していた。が、不作のため、400万トンまで殖やさねばならなかった。

1946年5月1日、過去11年間で初めてのメーデーが行なわれ、50万人が皇居前に集まり、「民主主義」と、さらに切実な「食糧」を要求した。

元大統領フーバーの援助


食糧事情が悪化し続けているのを熟知していたマッカーサーは、5月6日、アメリカ食糧使節団団長として訪日した、元大統領ハーバート・フーバー飢饉緊急委員会長に、現状を説明する。

「いま日本で予測されている大量餓死が現実のものとなれば、占領の目的達成は 不可能となるのみならず、極東および全世界において連合軍も収拾不可能な事態 が生じます」「日本は、連合国軍の支配下にある巨大な強制収容所であります」。

しかし、「日本国民を些(いささ)かも優遇しようと思っていません」「占領の目 的を達成するに必要な量だけの食糧を要請しているだけです」と強調した。

この会見直後、フーバーも日本への食糧輸入は、「日本の秩序破壊や悪疫流行を避けるためであり、日本の食糧不足は日本の再建の障碍となる」と言った。

フーバーは、苦学してスタンフォード大学を卒業し、鉱山技師となり、新しい発掘技術を発明し、廃坑になった金山を買い、大金持ちになった。1929年から1933年まで大統領を1期務めた。ルーズベルトに敗れる。その後、人道的な活動を世界中で行なう。

スタンフォード大学フーバー研究所の創立者。

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