傲慢なマッカーサー


アメリカ政府は、8000万人の日本国民に食糧援助を続けることが不可能であることは解っていた。

しかし、復興の兆(きざ)しは、東京では起こらない。マッカーサーがワシントンからの具体的な改善政策を徹底的に無視するからだ。彼は自分が日本の状態を1番よく知っていると信じていた。その通りかもしれないが、彼は「食糧を送れ」と要求をするだけで、ワシントンには情報を提供しなかった。

マッカーサーとワシントンとの不十分な意思疎通は、マッカーサーのせいだけではない。ワシントンのマッカーサーに対する畏敬が、彼の傲慢な態度を煽ったのだ。

マッカーサー vs ケナン


ジョージ・F・ケナンは、国務省政策企画部長として、ディーン・アチソン国務長官に、「日本で彼の高い地位および彼の威信を保持する必要性が高まってしまったために、アメリカ政府がもはや彼の行動を押さえることができなくなってしまっている」「ワシントンは彼の気持ちを傷つけないように、とても気を遣い、彼の好きなようにやらせてしまった」と述べた。

ジョージ・ケナン(1904年生まれ)は、アメリカの著名な外交官であり、歴史家でもある。英才ケナンは、第2次大戦中、モスクワにアメリカ大使館を設立し、それまで犬猿の仲であったソ連との関係を改善する。その時、40歳。

だが、モスクワ滞在中、ソ連政府の自国民に対する残酷さを目の前に見て、ケナンは猛烈な反共闘士となる。

「X」論文


国務省の政策企画部長の時、外交分野で絶大な影響力を持つ月刊誌『フォーリン・アフェアーズ』(1947年7月号)に、匿名「X」で論文を書き、ソ連封じ込め政策を提唱し、大論争を巻き起こした。このケナンの提案が、戦後アメリカの対ソ外交政策となる。

83.org.jpeg
彼は、1953年駐ソ・アメリカ大使になるが、数カ月にして、ソ連政府にモスクワから追い出される。1957年に出版された彼の本はその年、ピューリッツァー賞を受けた。

そのケナンが、「国務省は数年にわたり我慢し、マッカーサー元帥の性格を良く知っていたので、見て見ぬ振りをしていた」とアチソンに言った。国務省はどうすることもできなかったのだ。

マッカーサーは、彼等が「見て見ぬ振りをする」のは当然と思っていたので(多分気づいてもいなかったので)、ワシントンになんら感謝する気持ちも見せなかった。

ケナンは、「彼がいかなるときも我々外交政策の任務に当たっている者たちとの理解を深めるための努力を自分から進んでしたことは1度もない」と回想している。

ケナンは、2005年3月17日に101歳で死去した。