日本の復興には資本主義


マッカーサーは当初、ドッジの訪日を歓迎しなかったのだが、日本経済の安定でドッジの果たした業績は高く評価した。

1949年5月2日、彼は陸軍省に、「今日のドッジ氏の帰国は、占領体制への明白な損失であります。この重要な公務に大統領がドッジ氏を任命されたことへ、私の新たなる感謝を表明いたします。ドッジ氏が見事にスタートさせてくれた仕事を大成功させるように、できるだけ早い機会に再び日本を訪れてくれるようにとの私の心からの願いを大統領に伝えて欲しい」と打電した。

トルーマンはルイス・A・ジョンソン国防長官に、「私は、ドッジが日本に戻って欲しいと強く願っている」との書簡を送った。

トルーマンとマッカーサーが「ドッジ・ライン」を厳しく推進したのは、強い資本主義経済の日本がアメリカにとって脅威となる可能性は、経済的に弱い日本が共産主義の餌食になる可能性よりも小さい、との判断を表わしていた。

ドッジが、1ドル=360円と為替レートを決め、マッカーサーが1949年4月23日に日本政府に指令を出した。


毛沢東 vs 蔣介石


1947年9月初旬、アメリカ中央情報局(CIA)は、日本経済の重要性を明確に認識し、第1回国家安全保障会議に「占領の終結後、日本の経済問題が未解決であれば、ソ連の猛烈な浸透が容易になるであろう。ソ連の支配下での日本の復興は、中国と太平洋地域におけるアメリカの戦略的地位を脅かすであろう」と警告した。

さらに1948年3月、CIAは、中国大陸での蒋介石の国民党政府の崩壊は「間違いなく6カ月以内」と予見していた。

正に、その通りになった。

1949年10月1日、毛沢東は北京で、中華人民共和国の建国を宣言した。蒋介石と国民党軍は台湾へ追い出された。

88.org.jpg