忍苦以て国体護持



鈴木貫太郎首相は、8月15日に内閣総辞職に先立って、日本国民に向かって、ポツダム宣言を受け入れても、天皇陛下の大権に何ら変化はありえない、と断言した。

彼の言葉では、「忍苦以(にんくもっ)て国体護持」。

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鈴木は、海軍大将であった。日清戦争、日露戦争で勇敢に戦う。

1936(昭和11)年の「2・26事件」では、陸軍のクーデター兵たちに襲われ、重傷を負う。1945年4月、組閣し、本土決戦体制の強化を図るが、7月に突き付けられたポツダム宣言を「黙殺」し、原爆投下を招いた。

国体護持を堅持


また、「降伏内閣」の東久邇新首相も、最初の声明の中で、天皇大権を擁護しつつ、明治憲法は施行され続けるべきだと言った。

8月21日には、日本政府は英語による海外向けの放送の中で、恰(あたか)もアメリカを説得するかのように、「明治憲法は、天皇大権が内閣、枢密院、議会を通して施行されると定めており、国民の政府への参加を謳っている。従って、明治憲法は進歩的な憲法といえる」と解説した。

日本政府は、「言論の自由」を恐れていたのだろうか。いや理解していなかったのだろう。

8月25日、東久邇内閣は、「言論、出版、集会、結社の監視に関する今後の政策は、治安維持法の精神に基づいて行なわれる。結社については、申請があれば許可されるが、言論および出版の自由に関しては、公共の利益から見て判断される」と宣言した。

治安維持法では皇室を言論で冒涜した者は死刑になる可能性もあった。

日本文化の破壊が改革の第一歩


日本の実情を知るにつれ、マッカーサーは、日本の政治思想だけではなく、まず日本文化を破壊し、それから「民主改革」を行なう決意を固めていった。

OSS(米戦略諜報局)は、「日本の指導者たちは、根本的な政治機構の改革ではなく、表面を変化させることで、ポツダム宣言の条件を満たしうる、と思いこもうとしている」と鋭く指摘している。

占領開始から、日本はアメリカに見通されていた。