検閲100パーセント


9月15日、陸軍対敵諜報部の民間検閲主任、ドナルド・フーバー大佐は、日本政府の河相達夫(かわいたつお)情報局総裁、大橋八郎日本放送協会(NHK)会長、古野伊之助同盟通信社長を呼びつけ、「マッカーサー元帥は、日本政府および新聞、ラジオの9月10日の指令に対する対応に満足しておられない」と前置きし、「元帥は報道の自由に強い関心を持ち、連合国もそのために戦ってきた。

しかし、お前たちは、報道の自由を逸脱する行為を行なっており、報道の自由に伴う責任を放棄している。従って、マッカーサー元帥はより厳しい検閲の実施を指令された。

元帥は、日本を対等と見做していないし、日本はまだ文明国の仲間入りをする資格はない、と考えておられる。

この点をよく理解しておけ。

新聞、ラジオに対し100パーセントの検閲を実施する。嘘や誤解を招く報道、連合軍に対するいかなる批判も絶対に許さない。同盟通信社は昨日、公安を害する報道を行なったことで業務停止処分を受けた」と通告した。

時事通信社と共同通信社の出自


同盟の古野社長が平に謝り、業務停止は1日で許してもらった。

同盟は、海外ニュースを送ることも禁止された。同社で「100パーセント検閲」を実施するため、アメリカ陸軍の検閲官が派遣され、社内に常駐することになった。

同盟は、1945年11月1日付で、時事通信社と共同通信社に分割された。

新聞記者を再教育


『朝日新聞』(1945年10月7日)は、フーバー大佐と会見し、次のような人物評を記事にした。

「艶のいい丸顔に微笑をたたえて部屋の入口まで記者を出迎え、抱くようにし て椅子をすすめるあたり、どこからみても軍人ではない、......もともと彼は新 聞人だ、......ものごしといい口調といい実に柔和な感じを与える人である」(原文は旧かな)。

フーバーの方が完全に一枚上手(うわて)だ。フーバーは1931(昭和6)年、ピューリッツァー新聞賞を獲得している。

GHQは、「ニュース」「真実」「公安」を判断するという微妙な仕事を自ら行なうことになり、日本人記者たちに、それらをどう記事にするかといったことまで指示した。