NHKをコントロール


マッカーサーは、9月22日、「ラジオ・コード」を発表した。

プレス・コードと酷似していた。GHQは、日本放送協会(NHK)を完全に支配下に置く。マッカーサーは日本国中に指令を伝達するため、日本政府に家庭用ラジオ修理用部品、真空管の生産および配給計画を同年12月1日までに提出するよう命令した。

そして、電波を厳しく支配し、海外放送開始の許可を求める日本政府の要請も速やかに拒否した。

日本の海外放送は、1951(昭和26)年12月まで許可されなかった。それは、サンフランシスコ平和条約に日本が調印した後であり、その時でさえ、放送時間は1日5時間だけで、日本語と英語だけに限定されていた。

1945年9月24日、マッカーサーは「政府から新聞の分離」という新たな指令を発し、日本政府による新聞、通信社へのいかなる支配をも取り除いた。

検閲はなくなったのか。そうではない。


誰の「言論の自由」か


マッカーサーは、「日本国内でのニュース報道は、現在の日本政府に代わり、我々が満足できる言論機関ができるまで厳格な検閲下でのみ許される」と厳命している。同日、マッカーサーは「検閲に関する説明」という覚書を出し、日本の報道機関や政府に「書いてはならないこと」の内容を徹底周知させた。

日本の報道機関に対する検閲は、マッカーサーの独断ではなかった。アメリカ政府の「軍政基本指令」は「民主主義のための検閲」を実施するように促している。

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「あなたは軍事安全を確保し、占領目的を達成するために、郵便、通信、ラジ オ、電話、電報、電信、映画、新聞などを含む民間の通信に関して、最小限の検閲を実施する」

しかし、人間の愚かさの故か、「検閲」には「最小限度」というものはない。検閲は検閲者側の利益を最大限にするため実施される。マッカーサーも同じだった。

検閲は過去の日本帝国の遺産に留まらず、アメリカ民主主義の現実となる。

「言論の自由」の精神に触れたばかりの日本のジャーナリストたちにとって、厳しい夜明けだった。