「悪い本」



原爆に関するGHQの厳しい報道規制は、1949(昭和24)年9月25日にソ連が原爆保有を宣言するまで続いた。アメリカによる核独占が終わり、GHQの「核検閲」も緩んできたが、アメリカの対ソ連警戒心は極度に高まった。

CIA長官ヒレムコーターは、既に1949年4月20日、国家安全保障会議(NSC)で、アメリカはソ連の核攻撃への報復を検討する必要がある、と進言している。

GHQの検閲によって「悪い本」の烙印を押された2、3の例を挙げてみる。

アースキン・コールドウェルの『タバコ・ロード(Tobacco Road)』(1932年)は、日本語への翻訳を許可されなかった。この本は、アメリカ社会の貧民の世界を克明に描いていた。

マルクスの『資本論』も一時発刊停止にあった。

GHQは、日本の出版社にソ連に住んでいるマルクスの親戚から翻訳許可をとれ、と命令した。しかし、このバカげた要求は、出版社にとってはさほどの障碍とはならず、寧ろ、GHQに恥ずかしい思いをさせることになった。

まだ諦めないGHQは、駐日ソ連代表からの正式の翻訳許可証を取りつけろと要求した。

ソ連は喜んで許可証を発行した。


「回覧11号」



また、マッカーサーは、占領開始から外国ニュースの日本への流入を統制した。外国雑誌、本、映画、ニュース、写真に関し、マッカーサーは「回覧11号」を出し、「占領目的に害を与えないかぎり、日本での刊行を認められる」と述べた。


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誰が「害を与えない」と判断するのか。

「GHQが判断する」と言明している。

1945年9月から50年12月までの間、日本で翻訳・発行を許可された外国書の統計をみると、アメリカのものが圧倒的に多い。アメリカ1583冊、フランス657冊、イギリス452冊、ドイツ466冊、ソ連288冊、イタリア64冊、中国52冊、その他282冊。

GHQの民間諜報局も大変な仕事量を抱え込み、苦労したことだろう。

日本の警察も、GHQの検閲に参加したくて、1950年1月、当時日本でベスト・セラーだったノーマン・メーラーの著書『裸者と死者』(1948年出版)を発売禁止にした。

GHQは日本警察の早合点を「反民主主義的」と叱り、発売を許した。