密告


きれい事ばかり言っている時ではなかった。「憲法」はアメリカにとってあまりにも重大問題で、「封建領主」の近衛にまかしておくには、危険がありすぎた。

1945年11月7日、このジョージ・アチソン(George Atcheson、東京で政治顧問)は、ワシントンのディーン・アチソン(Dean Acheson)国務次官(後長官)に個人的秘密書簡を送った。アチソン次官が、(ジョージ)アチソンをGHQ内の政治顧問に任命した人物である。

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ディーン・アチソン


東京のアチソン政治顧問は、

「我々は、憲法改正問題で心を痛めております。近衛は高木(八尺)教授を我々のところに使者として送り、憲法草案数本がすでに用意されていると伝えさせ、さらに、我々の助言を求めてきました。しかし、我々はもうすでにマッカーサー元帥から近衛と話をすることを禁じられています」。


政治顧問の正念場


アチソンは、マッカーサーの「国務省いじめ」を訴えるかのように、「マッカーサー元帥、彼の参謀本部、そして彼の枢密院か元老のように振る舞う"バターン・クラブ"の者たちは、国務省がこの問題から手を引くように願っております」とワシントンに報告する。

バターン・クラブというのは、フィリピンのバターン半島で本間雅晴中将の率いる優勢な日本軍との激戦に敗れ、オーストラリアに逃れたマッカーサーと、その取り巻きに対する半ば称賛、半ば自虐的なニックネーム。

マッカーサーの「I shall return.(余は帰ってくる)」はフィリピン国民への彼の有名な約束で、守られた。

アチソンは続けて、

「我々は日本人筋から、近衛公の委員会が、今月末(11月末)までに政府に提出する草案を完成したがっていることを知りました。天皇のお墨付きを得た草案発表前に我々の考えを浸透させたいなら、即刻、行動をとるべきであります。天皇のお墨付きを得て公表された草案を修正するのは、大変困難であり、不幸な政治的結果を招き、我々の目的達成を妨げるでしょう」。