トレイナーの遺産


シーフェリンは、「優秀な、ある日本人教育家(京都在)」に新勅語の起草を依頼した。

この日本人は、大逆罪に触れることを恐れて、自分の名を出さないことを条件に新教育勅語の原案を1890年の教育勅語に似た日本語と近代的な英語とで作成した。毛筆の見事な筆跡で書かれた日本語原文とその英訳文である。

私が、スタンフォード大学・フーバー研究所の公文書館で、それまで存在さえ知られていなかった「トレイナー文書」を虱潰しに読んでいた時、この「京都勅語」を発見した。

シーフェリンは、この新教育勅語「京都勅語」を高く評価して次のように言う。

「SCAP(マッカーサー)がこれを拒否するようなら、大変な損失だ。SCAPがいま学校に浸透している日本人の権力に対する服従と尊敬の念を継続的に利用しようと思っているのなら、天皇に勧めて新しい勅語を出させるべきだ」


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「天皇が同封の勅語草案を使ってもよいと思う。要はスピードだ」

「SCAPが日本人の考え方を無理のない方法で変えようと望むのなら、これ(京都勅語)しかない」


無能な教育部


ダイク局長は、シーフェリン司令官の手紙を教育部に回したが、教育部は七カ月後の1946年7月まで何もしない。占領が始まってから一カ年近く、教育勅語は放ったらかしであった。

これは異常とも言える程の長期間に亘る「無策」である。

GHQ内の教育部は、教育勅語の重要さを全く理解していなかったのだ。

GHQ・教育部が、日本帝国の教育の「魂」とも言える教育勅語につき、一言も発言しない間、日本帝国の土台が次々と毀されていった。