集中砲火


教育部の部員たちは彼女のメモを読み、

「古い勅語は直ちに廃止されるべきで、その代用品は不要である」「田中の面子など我々の知ったことではない」「私は100パーセント、(このメモに)同意する」

「この重要な問題を早急に解決しなければ、事態は大変まずいことに、いやそれより悪いことになりかねない」

と痛烈な意見を出してきた。

ジョセフ・トレイナーはオア部長宛メモで、

「田中が古い勅語を強力に弁護したのは理由がある。我々が勅語の効力をなくすことにつき、何もしなかったからだ。勅語は感情的な重みのある文書で、この理由からも学校に置いてはならない」

と言った。


デル・レの猛攻


1936年から1943年にかけて、日本占領下の台湾・台北帝大で英語を教えていたイタリア人デル・レもオア部長に、

「早急に教育勅語と御真影に対する〝死刑宣告〟を用意するよう、文部省事務次官に命じるべきだ」

と勧告した。

デル・レは、戦前、戦中、日本に雇われ、台北で教育勅語に基づき、教師をしていた。日本が降伏するや否や、アメリカ軍に鞍替えし、高給を取り、教育勅語を殺せと言う。


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1946年9月、文部次官は日本語と下手な英文で、オア部長に「死刑宣告」草案を提出した。させられた。

デル・レは「英語の翻訳は不明瞭で弱々しいもの」と言い、彼は同僚と一緒に完全に書き直した。

「疑いの余地を残してはならなかった」「地方や県庁でこの指令が有耶無耶にされる可能性をなくさなければならなかったからだ」

と言う。


奉読禁止勧告


デル・レたちが教育勅語の「死刑宣告文」を書いている間、1946年9月28日に、文部省のシンク・タンクである教育刷新委員会特別委員会は、「勅語の取扱い」について、あたかも先手を打つかのように、勧告を発表する。

「式日に際して学校(国民学校から大学まで)の儀式で教育勅語を奉読することを禁ずる」

「しかし勅語を抹殺するわけではなく......〝天皇の御言葉なるが故に真理なのではなく、真理なるが故に真理なのである〟との立場から教育勅語の内容は適当に活かしてゆくこととした」