田中文相の辞任


後、文部大臣になる森戸辰男も特別委員会の一員だった。GHQ・CIEから強烈な圧力がかかってきた。

10日後、10月8日、県知事と全学校長に文部次官通達が出た。

「教育勅語を以てわが国教育の唯一の淵源となす従来の考え方を去って、これとともに教育の淵源を広く古今東西の倫理、哲学、宗教等にも求むる態度を探るべきこと」

「その保管および奉読に当たっては、之を神格化するような取り扱いをしないこと」

この通報は田中文相の誇りを著しく傷つけた。3カ月後、田中文相は辞任し、参議院議員になった。

179.jpg旧文部省


『教育と政治』


田中は、「教育は即ち政治である」と信じていたから、彼の教育から政治への「変身」は困難ではなかった。

彼は著名な『教育と政治』の中で、

「教育の理念は政治の理念と同一のものであり、特定の思想家においてその者が懐抱する政治理念と教育理念との間に矛盾相剋があってはならないこと、及び特定の国家として一般政治の理念と教育の理念との間に矛盾相剋があってはならないのである」

と断言する(引用文は「教育と世界観」と題されたものから。『中央公論』昭和21年4月号に発表され、『教育と政治』に転載されている)。

田中がこのように発言したのは、彼が初等・中等学校を総括する文部省で学校教育局長だった時だ。