全否定された教育


日本の若者に「敗北」の意味を叩き込むために、GHQは『太平洋戦争の歴史』を小・中学校に五万部配った。

それは勝利者から見た「真実」であった。

マッカーサーは学生、教師、全ての教育関係者に、これまでの授業や教科書を厳しく検討せよと命令した。

明治維新から昭和20年8月までの七十七年間に亘る教育は、「全部悪い」という発想から出された命令だ。


学生ストライキ


1945年9月、水戸高校の学生たちは、戦後最初のストライキを起こし、横暴とみられていた安井章一校長の解任を要求し、学生15人が10月6日、文部省に直訴した。

かつて法と秩序を維持することで揺るぎなき名声を持っていた文部省は、学生の要求を呑み、ストは三十七日間で終わった。

学習院でさえ、父兄の応援をえた教授たちが、学長の辞任を要求した。彼等はこの問題を宮内省に持ち込んで、検討を求めた。

こういう事件が続いたあと、文部省は戦争を支持した学長、校長に辞任を促した。

しかし戦争を支持しなかった者は、学長や校長になっていない。やがて行なわれる大規模な教育界パージの前触れである。


学生たちの要求


次々と学生ストライキが全国で発生した。


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学生運動の様子

大学生と高校生たちが要求したことは、

⑴リベラルな教師の復職と軍国主義的、国粋主義的な教師の追放、

⑵帝国政府が「危険思想を育む」と廃止した社会科学研究の復活、

⑶学生自治体の設立、

⑷女子への平等な教育の機会供与、

であった。

京都帝大に誕生した新しい学生団体は、戦後の学生運動の方向を示すかのように、「日本における資本主義を分析する」と発表した。