文部省の抵抗



1945年12月31日、天皇の「人間宣言」の一日前、マッカーサーは「修身、日本史、地理停止」と名付けられた指令を出した。ダイク局長の勧告そのままであった。

164.jpg

教科書使用禁止のための深刻な教科書不足が発生した。

日本中等学校校長連盟の代表はCIEに早急に対策を講じるよう訴えた。文部次官大村清一もCIEに、情勢が絶望的であるので善処していただきたい、との書簡を送った。

文部省は教科書だけでなく、改定教科書の原稿をも英訳せよとの命令に従いながらも、この厖大な重荷から回避しようとした。

CIEは、文部省が足を引き摺っていることに憤慨し、1945年12月19日、社会教育局長関口勲と公民教育課長の寺中作雄をラジオ東京(NHK)ビルに呼びつけた。

関口と寺中が呼びつけられたのは、文部省がCIEの承認なしに、1946年4月10日に予定されている選挙に関して、パンフレットを作り、印刷したためである。

この選挙は、マッカーサーの「新憲法」を国会で通すために行なわれるのであり、GHQにとっては重大な、失敗が許されない選挙であった。


抵抗の内幕


この訊問に似た会談は、午前9時半から11時まで続く。

ニュージェント(教育部長)「このパンフレットの著者は、誰が選んだのか」

関口「寺中と私が、選びました」

ニュージェント「前田文相は君たちに、こういうパンフレットを前もって我々に英語訳を提出し、我々の承認を得ることなく印刷し、配布できると言ったのか」

関口「いやそうではありません。これらのコピーは校正用です。このパンフレットはまだ最終的な形では印刷されていません」

ニュージェント「君たちはこの計画をさらに進める前に、英訳を提出する意図があるのか」

関口「完全な翻訳が必要でしょうか。要約ではいかがでしょうか」

ニュージェント「文部省が発行し、学校に配られるあらゆる文書はまず、我々の承認を得なければならないということは知らなかったのか」


計画案の所在


関口「私の間違いでした。一般的な計画案は提出してあるのですが......」

ニュージェント「誰に」

関口「文部省総務室を通じてCIE教育部に出してあります」

ニュージェント「それはいつだ」

関口「1週間か、10日ほど前です」

ニュージェント「英語でか」

関口「英語と日本語で、です」