減俸


日本政府は、マッカーサー元帥の命令を忠実に守っていることを示そうとして、11月28日、有光次郎教科書局長を職務怠慢で懲罰処分にすることを決定した。

有光は何をしでかしたのか。

ホールは有光局長に、教科書の原稿は全て英訳され、CIEによって検閲を受けねばならないと通告していたにも拘らず、検閲を受けないままの教科書六冊が出版された。

有光の懲罰は、1カ月の10パーセント減俸。その屈辱だけでも残酷な罰であったが、ニュージェント教育部長はこの懲罰をこれで十分とは考えず、1946年4月17日に、この件について内閣に再考を促した。

内閣はそれを受けて、6カ月の10パーセント減俸という処分を追加した。


神経質な追跡者


日本側の「過ち」に関して、ホール中尉は、1945年11月7日のCIE内部メモで、

「民主的な手続きと西洋の知識から長く切り離され、孤立していたことから、文部省がいかにその気があっても、技術的な援助をしてやらない限り、失敗を犯すことは不可避でもある。我々の指導方法は彼らに公に屈辱を味わわせるということを避ければ、効果的であろう」

と述べていたのは皮肉なことであった。

GHQ・CIE内部でどのような考えがあったか、日本側に解るはずもなく、ただ教科書に関する神経質な検閲だけが目についた。


マッカーサー帝国


1946年の初め、GHQが行なっていた手紙の開封検査の時、長野の少女が匿名で東京の友達に、学校では「禁止された教科書がまだ使われている」と書いていた。

GHQは直ちに日本人スタッフを現地に派遣した。このスタッフ報告によると、「使われていなかった」。

文部省は日本列島の各地に高官を派遣して、教師たちがマッカーサーの命令に従っていることを確かめた。CIEも日本中に視察旅行をしていた。

日本国民は、マッカーサーの命令に少しでも逆らえば、後悔することになると信じ込まされた。


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1950年頃のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)