「教科書を作れ」


教科書検閲が行なわれる一方で、マッカーサーは、日本政府に新しい教科書を作れと命令した。CIEは、1946年7月当時、「約146冊の教科書原稿が検閲、改定され、出版を許可された」と記録している。

地理の教科書の書き換えは簡単であった。日本政府は、1946年6月29日、マッカーサーに「地理」再開許可を要請し、それを得た。

嘘をつこうとは誰も思っていなかったのだが、日本史を書くことは、CIEが文部省に「歴史とは日本国民の正直な歴史でなくてはならない」と指示していたにも拘らず、困難な作業であった。

文部省は、歴史教科書の執筆者の名前をGHQに提出した。GHQは、これら執筆予定者の徹底した人物調査を行なった。

小学校と中学校向けに各一冊、師範学校用に一冊と、計三冊が用意される。


執拗な検閲・修正


CIE局員二人が、黒鉛筆と赤ペンで、英訳された原稿をクシで梳くかのように丹念に調べた。

GHQが「日本史」に異常なまでに神経を尖らせていたことは、次の例が十分に物語っている。

師範学校用の原稿で、執筆者が日本の「美しい自然」を描写したところ、CIE検閲官は削除した。

「愛国心」は赤ペンで消され、黒鉛筆で「国を思うこと」と変えられた。

「天皇の歴代記」は「天皇の伝説」と変えられた。

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神武天皇


「国家統一」もダメ


豊臣秀吉が、1591年に戦国時代の日本を統一した。常識だったが、CIE検閲官はこれを完全に削除した。

「国家統一」が気に入らない。

CIEは、天皇や日本について肯定的な論評をしたり、記述したものは全て削除した。

このような検閲の後、CIE当局は、「感情的な扱いは、完全にない」と、自信をもって断言した。

1946年9月5日、CIEは、文部省に新歴史教科書『くにのあゆみ』を出版してもよいと許可を与えた。

同年10月12日、マッカーサーは、日本歴史の授業を再開してもよいが、学校には「文部省が準備し、GHQが承認した教科書のみが使用されるべきこと」と厳命した。

この七カ月前の3月に、アメリカ教育使節団(次章参照)は、教科書作成に文部省を使うことに強く反対したが、GHQは文部省を使い続けた。中央集権は益々強まっていた。