派遣の裏側


チャプマンの手紙が国務省内で回されている間、1945年11月7日、ホール中尉は「アメリカの指導的な教職者からなる教育使節団派遣要請がなされるであろう」と、CIE(民間情報教育局)の内部メモに記録していた。

チャプマンの教育使節団派遣の要請が、マッカーサーの要請と同じだったのは、偶然か。

私の推察だが、ワシントンの国務省から東京のGHQに「教育使節団を要請せよ」との指示があったのかもしれない。

1946年1月4日、マッカーサーは、ワシントンの陸軍省宛に電報を打った。

「日本の教育制度の再建は、占領行政の中で優先される。推定1800万人の生徒、40万人の教師、4万の学校は、占領使命を全うするための主要な道具なのである」

「文部省は、改革案を作成し、実施する能力に欠けている」


派遣の目的


マッカーサーは教育使節団が、

⑴日本における民主主義教育、

⑵日本再教育の心理的側面、

⑶日本教育行政の再編成、

⑷日本復興のための高等教育、

について改革案を作成するように要請した。

彼は、教育使節団の団員として26人の名を候補に挙げた。


マッカーサーへの配慮


マッカーサーの要請を受けたケネス・C・ロイヤル陸軍長官代理は、バーンズ国務長官に書簡を送り、「日本人を再教育するのは、国務省の責任だと思うので、国務省はこの要請を速やかに実行されたい」と願い出た。

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ケネス・C・ロイヤル陸軍長官代理


ロイヤルは、マッカーサーが敬虔なキリスト教徒であることを配慮し、「電報では指摘されていなかったが、カトリック系や他の宗派代表も教育使節団構成にさいして、重視されるべきであろう」ともいった。

ディーン・アチソン国務長官代理は、ロイヤルに、「喜んでこの責任を果たさせてもらう」と返書を送った。