担当官の苦悩


そうは答えても、アチソンは、国務省が教育使節団の派遣について責任を取るべきかどうか迷った。

アメリカが日本占領を独占していることに対して強い反感を抱いているソ連とイギリス両国が、またアメリカ人だけの教育使節団を派遣したら怒り狂うのではないだろうか。


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ディーン・アチソン


アチソンは、国務省極東局長ジョン・C・ビンセントに相談した。

ビンセントの返答はウィリアム・ベントン国務次官宛である。

「我々が責任を取ることに問題はない。私は、日本でそういう責任を取ることは、望ましいとさえ思っている。マッカーサーが要請してきている教育使節団派遣に関して、極東委員会でどんな反応が起ころうとも心配する必要はない。同委員会は、日本教育の改革に関して、いつでも政策を立案できるし、マッカーサー元帥もその政策に従うであろう」

「マッカーサーは、専門家の助言を今、緊急に必要としている。極東委員会が政策を作るのには、数カ月かかる。その間、マッカーサーは腕をこまぬいているわけにはいかない」


ベントン次官のリーダーシップ


ベントン次官が使節団結成の任に当たった。マッカーサーと陸軍省に相談して、国務省は、団長にジョージ・D・ストッダードを任命した。

彼は当時、ニューヨーク州教育委員長であり、名門イリノイ大学総長に選出されたばかりであった。

ベントンはストッダードと旧知の間。

ベントンは、ロンドンで行なわれたユネスコ(国連教育科学文化機関)創設会議でアメリカ代表団長を務め、ストッダードは五人の団員の一人であった。