打ち切られた校舎建設費


CIEは日本経済の惨状を指摘されるまでもなかった。

教室不足、その他多くの悪条件は、改善されなかったどころか、ドッジ・ラインという耐乏政策によって、校舎建設予算は完全に削除された。

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空襲で被害を受けた国民学校の校舎


街には失業者が溢れ、校舎を作るどころの状況ではなかった。



高瀬文相の悲願


文部省は、ショック死の状態にあった。高瀬文部大臣は、1949年4月7日、GHQのESS(経済科学局)局長ウィリアム・F・マーカット少将に直訴する。

高瀬
「もし校舎建設費が全額削除されると、GHQの指導により実施中の義務教育の実行が至難となり、教育上は勿論のこと、社会的にも、思想的、政治的にも、国民に大きなショックを与えます。それ故、内閣では公共事業費から、少しですが、校舎費として計上することに決定しましたので、何卒御考慮をお願いしたいと思います」



GHQの反論


マーカット 
「日本政府は、公共事業予算はこれがぎりぎりの最低額であると我々に断言したではないか。それなのに、君は今ここで、その予算額に差し引く余裕があるという。我が司令部は何を信じたらよいのか」

高瀬
「私どもは、馬小屋まで教室に使って授業しておりますが、収容力が非常に足りなくて、惨憺たる実情なのです」

マーカット
「能力以上のことを教えるというのは、収入以上に金を使うようなものだ。兎角日本人というのは、費用の点を熟慮もせず、徒に計画ばかりを立て、その後、お金が足りないと司令部に訴えてくる傾向が非常に強い。司令部はかかる計画に責任を持てぬ」