5人の刺客


アメリカ人文科学使節団は、1948(昭和23)年9月末から49年初めまで滞日した。27人の団員を抱えた教育使節団とは違い、人文科学団は5人の教授たちだけであった。

ジョージ・K・ブラディ...ケンタッキー大学英語学教授

チャールズ・E・マーチン...ワシントン大学国際法・政治学教授

エドウィン・O・ライシャワー...ハーバード大学極東地域語助教授、10年後、駐日アメリカ大使になる

ルーサー・W・ストルネーカー...ドレーク大学哲学教授

グレン・T・トレワーサ...ウィスコンシン大学地理学教授

一行は、日本の大学教授たちと幅広く会合し、報告書を書いた。

ニュージェントはこの報告書を読んで感激し、人文科学使節団は「日本の高等教育と占領目的にとって貢献を果たしたことは、明白であります」とマッカーサーに報告した。


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エドウィン・O・ライシャワー


人文科学団による観察


この報告書には、次のような観察が述べられている。

⑴ 過去において人文科学(社会科学)の研究は理論偏重に流れたが、これからは「実証主義的」および実用的な研究をすべきである。

⑵ 現代の問題の研究を疎かにする結果になった歴史偏重を克服する努力を払うべきである。

⑶ 日本の学者たちは、象牙の塔に閉じ篭らずに、重要な問題について共同研究するという新しい態度をとるべきである。

⑷ 現在の経済的、社会的危機は、国が生み出し得る強い指導力を求めている。日本の学者たちが、象牙の塔で孤立することを止め、真正面から挑戦に立ち向かうべきなのである。

⑸ 日本の人文科学者たちは、個々であれ集団であれ、より大きい社会的責任感を養うべきであり、自分たちの社会に対して、直接的に貢献する努力を払うべきである。

さらに、「現在流行の講座制度には、教授間の封建的関係とか、教授、研究員たちの強固な派閥という重大な悪弊が多く潜んでいる」と断言し、その解決案として、「教授会内部および学科間の障壁を下げなければならない」と勧告した。



学問の自由


しかし、日本の大学は、各学部の独立自治こそ「学問の自由」の象徴であるとしていたので、各学部の厚い壁を取り払うことは実現しなかった。

人文科学使節団も教育使節団も、学問の自由とは、単に教授が教室の中で持てる知的自由だけではなく、彼らの政治的自由を伴うものであり、彼等の政治への参入を道義上の義務とした。

だからこそ、GHQと文部省は占領当初、教育に携わる者は市民の責任として、政治に参加すべきだと主張してきたのである。