サンソム卿の講話


1946年2月、教育使節団員全員はワシントンに集合した。国務省は、日本に関する資料を団員に配付した。勉強会である。

日本史の権威であるコロンビア大学教授サー・ジョージ・サンソムは、団員に講演をした。1883年生まれのイギリス人・サンソムは、17年間の外交官生活の殆どを日本で過ごした。

占領中の1950年の秋、東京大学に招待され、「世界歴史における日本」という五回の連続講演をした。彼の日本滞在中、日本学士院は、彼を「学士院客員会員」にした。

名実ともに、日本史の大家であった。

教育使節団は、立ち寄ったホノルルとグアムで、さらに説明を受けた。使節団一行は、二グループに分かれて、1946年3月5日と6日に、東京に到着した。

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言葉尻を取られるな


3月7日朝、教育使節団員は、広報に関して説明を受ける。

CIE広報官ドン・ブラウンは、

「日本人は、この教育使節団に大変な関心を抱いている。団員が日本をどう思っているか、日本の教育制度をどう見ているか、どんな勧告がなされるか、をとても知りたがっている。しかし、教育使節団の特別な性格からみて、団員の発言は全て最高司令官のものと受け取られるので注意されたい」

と言った。

新聞記者出身であり、また日本をよく知っているブラウンによれば、

「日本のジャーナリズムはそれ自体の劣悪さに加えて、アメリカ・ジャーナリズムの最も悪い面を全てまねしている。新聞報道の信憑性に対する尊敬の念はない。日本の新聞記者は、団員の発言を巧妙に変えてしまうのに長けている」。


閣下の優れたスタッフたち


団員の一人コンプトン「我々が口をきかなければきかないほど、良いというわけか」

ブラウン「その通り」

別の団員ホートン「日本側教育家の委員会と自由に話し合っても大丈夫なのか」

ブラウン「ニュージェント大佐か教育部から特に指示がなければ、私としては、団員がその席で完全に自由に話してよい、と考える。日本側委員たちには、日本の新聞に軽々しく喋ってはならないと注意してある」

CIEは、使節団用に「日本の教育」と題する小冊子を作成していた。これに、日本教育制度と現在進行中の改革が記述してあった。

ストッダード団長は、マッカーサーに手紙を書き、「閣下の優れたスタッフ」CIEを褒めた。