虚しい抵抗


マッカーサーは、日本を「内部から政府を解放する世界一の大実験室」と考えていたので、文部大臣が教育使節団に勇気のある忠告を発したところで、団員らがマッカーサーの考えに反する行動を取るはずもなかった。

ストッダード団長は、「安倍大臣は温かい歓迎の意を述べられました」と外交辞令を述べ、「日本に来たのは批判するためではなく、視察し学ぶためであります」と日本側の懸念を取り除くように努力したが、無駄な努力であったであろう。

日本側は、教育使節団が視察にきただけとは思ってもいなかった。

比較教育学研究で世界的に有名であったアイザック・L・カンデルは、もっと率直に「教育使節団は当時の文部大臣からあのようなことを言われなくてもよく分かっていたが、彼の懇願は聞くだけは聞いておいた」と帰国直後に書いている。


マッカーサー参り


当時、「マッカーサー草案」が発表され、マッカーサーから既に多くの指令が出されていて、敗戦国日本が歩むべき政治路線が既に明確に確立していた。

教育使節団は、マッカーサーの期待から逸脱しなかったし、する度胸も勇気も気力もなかった。

逸脱するどころか、諂うのに忙しかった。

「閣下が連合国のために、極めて難しい時期に難しい国民の難しい問題を解決するために手腕を発揮しておられるのを目の当たりに見ることができて、感動しております」

とウィルソン・コンプトンはマッカーサーに手紙を書いた。

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米国ノーフォークに所在するマッカーサー記念館


コンプトンは、「difficult」(難しい)を三度使っている。エミリー・ウッドワードも、「マッカーサー元帥は、日本で素晴らしい仕事をしており、日本国民は元帥に心服している」と述べている。