新しい日本のための教育


アチソンとヒルドリングが意見を交換している頃、悪名高い国語ローマ字化を煽ったロバート・キング・ホール中尉は、権威あるグゲンハイム奨学研究員としてアメリカに帰った。

彼は、この研究員の時期の1946〜47年に、Education for a New Japan(新しい日本のための教育)を執筆し、1949(昭和24)年に名門エール大学出版会から刊行した。

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エール大学の様子



終戦直前、「カタカナ案」を書いた時、ホールは「性急なローマ字化は日本を事実上、無能国家にしてしまう」と警告したが、アメリカ教育使節団と関係してから変心した。

ホールは、『新しい日本のための教育』の中で、ローマ字の長所、漢字の短所を長々と117頁にも亘り説いている。


ローマ字万能論


彼の日本人を見下した態度ばかりでなく、ローマ字に対する新たなほれ込みぶりを紹介するには、数行の引用で十分である。

「初等および中等学校教育で、速やかにかつ完全にローマ字に変えることが極めて望ましい」

「ローマ字採用に踏み切るかどうかの最終決定は、日本人自身がすべきである」

「もし、日本人に思慮があれば、到達する結論は一つしかないはずだ。それは、日本が無知による損失や、国家主義による侵食に抵抗する有効手段として、民主主義の最も強力な味方の一つ、ローマ字方式を採用するということだ」

説教というよりも、侮辱である。

ホールは、グゲンハイム研究員の後、コロンビア大学教育学部で比較教育学の助教授として招聘された。同大学では、教育使節団で日本語崩壊作戦を担当した団員、ジョージ・カウンツ教授とアイザック・カンデル教授が教えていた。