日本ローマ字会の発足


文部省は、教育使節団のローマ字採用勧告に従い、1946年6月、ローマ字教育協議会を設置した。同協議会の委員は、教育者、ジャーナリスト、文部省の役人など35人であった。

最初の会議で文部次官は、「わが国の現状と文化的遺産に照らして」、ローマ字採用には慎重な態度で臨むべきだと語った。

しかし、第2回会議(10月22日)では、文部次官は、ローマ字が「社会的生活の能率を高め、国民の文化水準を向上させる」と述べた。

マッカーサーもCIEも、「ローマ字教育の採否は日本国民にまかせる」とも、「日本国民が望まないのならばそれでよい」とも日本政府に伝えていない。

マッカーサーの干渉してこなかった態度に気づかずに、文部省は1947年4月、小学四年からローマ字教育を開始した。日本ローマ字会というものまで設立され、漢字を全廃することが日本の進歩になるとの声明を発表した。


日本人との相性


研究社出版株式会社は、日本最初の全編ローマ字児童雑誌『Robin』を、1946年4月1日に創刊した。教育使節団が離日した数日後のことだ。

同種雑誌が次々と現われ、同年12月には十四誌、1947年9月には二十七誌を数えた。

1950年10月までには熱病も冷め、わずか二誌になった。

日本人のローマ字とのロマンスは見掛け倒しに終わった。

「ローマ字は英語ですか」と私は小学四年生の時、先生に尋ねた。

「違う。英語で書いた日本語だ」と先生は答えられた。

日本語の書き言葉を廃止しようとした教育使節団の熱心な提案故に、「日本文化の植民地化」を恐れる声があがったのは当然であろう。


民族の脊髄・文化の塊


言葉は、民族の脊髄である。

言葉は、文化の魂である。

それを粉砕すれば、「民主化」どころの騒ぎではなくなる。

ストッダード団長も帰国後、この日本文化に対する「大罪」に気づいたのだ。



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それ故、私が尋ねもしないのに、国語解体について書いたのは、「自分ではない」と言い訳をした。日本人の私を見て、彼は、罪悪感に駆られたのかもしれない。

輝かしい経歴を積んだ学者ストッダードは、人生の晩年が近づくにつれ、日本語粉砕を提案した教育使節団長としての汚名を少しでも拭いたかったのだろうが、元団長は、責任回避をするべきではなかった。