分断


1945年の夏、敗戦。日本から独立するという期待が、朝鮮半島中に沸き上がった。歓喜の興奮が鎮まる前に、日本の植民地時代よりも悲惨な悲劇が朝鮮の住民に襲いかかる。

朝鮮半島は、半島の真ん中を横に走る38度線を境にして、文化と民は「北」と「南」に引き裂かれた。

38度線には無数の地雷が埋められ、剃刀のような鉄条網が幾重にも張られ、警備兵が実弾を込めた機関銃を構え、この運命の「線」に近づいた者を撃ち殺した。



ソ連 vs. 米国


「北」は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)となり、ソ連の武器となる。

「南」は韓国(大韓民国)となり、アメリカ陣営に繰り込まれていった。

世界を独占しようとしていたアメリカとソ連の死闘に巻き込まれた「北」と「南」は、「歩兵」として狩り出され、同胞を殺すという血で血を洗う地獄に落ちてゆく。

「北」と「南」には同じ血が流れているにも拘らず、いや、その血の濃さ故に、憎しみも深くなっていった。



朝鮮特需


日本に最も近いアジアの隣国、朝鮮半島で、1950(昭和25)年6月25日、激戦が勃発した時、日本国民は憲法第9条を「お守り」のように握り締め、「永久平和」の念仏を唱えていた。

そう唱えながらも日本国民は、「朝鮮特需」と名付けられたアメリカ軍からの軍事物資注文を大歓迎した。


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軍用機を修理する日本の工場


その注文は、当時の日本円で総額1兆3000億円にも達し、瀕死状態であった日本経済に生命を吹き込んだ。