『アカハタ』逮捕劇


その翌日、6月7日、マッカーサーは吉田に、『アカハタ』の編集者17人を逮捕せよ、と命じた。その理由も簡単である。

「『アカハタ』は、共産党内部の不法分子のうち最も過激な党員のための代弁者の役割を担った。『アカハタ』は日本政府を挑発し、経済復興の進歩を止め、さらに社会的不安と大衆暴力を引き起こそうと目論み、ニュース記事と社説欄を事実無根の扇動的な主義主張で濫用した。その結果、日本国民の安全を守るために、迅速な対策が必要となった」

マッカーサーは「報道の自由」を守るため、『アカハタ』を発行停止にはしない、とも述べた。この命令も、同日午後5時10分、吉田首相に直接手渡された。



共産党からの挑戦状


同7日、『アカハタ』は、「共産党は人民とともに不滅である」と宣言し、「独立と平和をまもり、軍事基地に反対して勇敢にたたかってきたわが党の活動にたえきれなくなった内外反動は、断末魔の野獣の如くあがきはじめた」と挑戦状を出した。

さらに、同日の社説でも、「大衆的な断固たる闘争のみが、あらゆる暴圧を打ちくだき、内外の反動をヒトラー・東條の墓場へたたきこみ、日本民族に輝かしい自由と、平和と独立を保証するであろう」と決死の覚悟を言明した。



殲滅作戦


吉田内閣は、地下に潜った共産主義者たちを逮捕せよと命令した。

徳田球一は中国へ逃亡し、1953(昭和28)年北京で客死した。

日本の警察は、徳田が日本の何処かに隠れていると思い、必死になって探していた。野坂も北京へ逃亡した。

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6月13日、天野貞祐文部大臣は、学生が政治集会やデモに参加するのを禁止すると発言した。吉田首相も、同16日に、国民のデモや政治集会を禁止する指令を全国に出した。