恐怖の静けさ


マッカーサーの決断によって励まされた日本政府は、全国規模の「赤狩り」を行ない、総数で約2万2000人を捕らえた。

吉田は、赤狩りは共産党を「非合法」団体とする代りに取った止むを得ぬ措置である、と高飛車に出た。

そして、レッドパージの大成功は、「世論の支持」があったからだと言った。

「世論の支持」ではなく、「世論の沈黙」だった。「恐怖の静けさ」であった。共産主義者を弁護しようものなら、その人は「赤」と見做され、ただちに追放されたのだ。



思想統制の悪夢


シーボルドは、レッドパージの大成功を目の当たりに見、1950年7月19日、国務省に報告する。「日本政府の反共作戦は共産党を絶えず走らせ、彼等の活動を効果的に妨害している」。

「赤狩り」の恐怖の輪は、急速に広がり、全国の教師を巻き込んだ。

「赤」であろうがなかろうが、教師たちは日本政府の「思想統制」に強力に反対したが、同時に戦々恐々としていた。



赤い教師たち


戦前の「危険思想」弾圧の痛々しい記憶はまだ新しかった。

GHQは、赤い教師が恐怖に震え、教職から自発的に辞職せざるを得ない状況に追い込むことを狙ったのである。

GHQと日本政府は、小・中学校の全教師からなる日教組を共産主義者の砦と見做していた。

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日教組結成大会の様子