イールズ博士


教育界のレッドパージで最も話題になったのは、イールズ博士(スタンフォード大学准教授)の反共講演行脚だ。1949年7月、イールズは、大学から共産主義を排除するという「男の仕事を行なう」ために派遣された。

これは、ニュージェント局長のお墨付きであった。

局長は、1949年4月23日、教育部に短いメモを送り、

「新設大学の開校式で、学問の自由について感動的なメッセージが披露されるべきだ」

「西欧の民主主義と鉄のカーテンの裏側で行なわれているものとをはっきりと対比させなければならないが、デュペルのような乱暴なやり方ではなく、学問的で、かつ正気なものであるべきだ」

「共産主義者による基本的人権の冒涜の例を挙げて話をすれば、日本の大学生と学者(知識人の全て)にとって、現実味のある衝撃となるであろう。インテリゲンチアがいま、このような教訓を必要としていることを、神様はご存知である」

と断言した。



「大学の自由と共産主義」


イールズ博士は、「共産主義の教授たちは共産党に加わることで、自分で考える自由を捨て去った。故に教えるということに不適当である」ことを証明しようと試みた。

大変に難しい仕事である。

彼の戦闘的な講演は、「大学の自由と共産主義」と名付けられていた。ニュージェントは、この全文をイールズ博士が演説する前に読み、承認した。

イールズ博士は、「私は、この演説を1949年7月、新潟大学の開校式で行なった。日本中の大学で、私の考えを撤回せよと大騒ぎになった」と誇りをもって回想している。

イールズの考えに代表された異常な共産主義恐怖症は、1940年代後半から50年初めにかけ、アメリカで悪性の病原菌のような猛威を揮った。

私が留学していたワシントン大学でも、「赤狩り」がなされ、教授5人がこれを「違憲」とし、最高裁まで持ち込み、勝った。


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