赤狩り恐怖時代


イールズ博士のような考えが最悪の「暴力」として本性を現わしたのは、ジョセフ・R・マッカーシー上院議員が、1950年2月9日、「国務省に205人の共産主義者たちがいる」と発言し、「マッカーシイズム」という「赤狩り恐怖時代」が始まった時である。

この醜い迫害旋風は、アメリカ中に吹きまくり、ハリウッド映画界までも巻き込み、4カ年もアメリカ社会を冒した。

1954年4月22日から6月7日まで続いた公聴会は、テレビで実況放映され、マッカーシー議員が、「陸軍にも共産主義者のスパイが多数いる。陸軍長官がこの事実をひた隠しに隠している」と発言し、その証拠を求められた時、提出できなかったため、彼の「虚像」が音を立てて崩れた。

この直後、彼の無謀を叱責する譴責決議案が上院を通り、この「赤狩り」は終わった。


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ジョセフ・マッカーシー

余波


私の知人、故ジョン・K・エマーソン氏は、占領初期、志賀義雄や徳田球一らを牢獄から出したと疑われ、この「国務省の205人」の一人として名を挙げられていたという。

痛烈な危機感を持った日本の全国大学教授連合は、1949年10月22日の年次会で、「個人の良心と自由は憲法で保障されている」と強く反発した。

イールズ博士は、「教授連合は本質が解っていない」と不満を言明し、「CIEが教授連合の声明を支持するわけがない」とも言った。

イールズを力づけたのは、新潟大学での演説に先立つ数週間前、影響力を持つアメリカ教育政策委員会が、「共産主義者はアメリカの学校で教師になることは不適当だ」という声明文を出したことだった。