国民実践要領


天野文相の次の提案は、静かな「愛国心」よりも大騒動を引き起こした。同年11月14日、天野は、日本国民の道徳の低下を止めるために「手引き」を持ち出してきた。

天野は「国民実践要領」と名付けた。

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天野貞祐


吉田首相は、これを「道徳の最低限度」と言った。

「文部大臣が国家の道徳のあり方を心配するのは当然の責任であると思う」と言って、天野はこの政令でも訓令でもない「要領」を、国民や学校で参考にしてもらうため、講和条約の批准を期して発表する予定であった。



道徳論争


『朝日新聞』(1951年11月14日)によれば、「要領」の「分量は大体原稿用紙20枚程度のもの」「形式は箇条書き」である。

天野の記述「権力的、宗教的、政治的な意味の中心でなく、国民が親愛していくところの中心、道徳的意味をもった親愛の対象としての天皇」が大騒ぎを引き起こす。

11月26日から、「国民実践要領」につき、参議院文部委員会で参考人9人から意見を聞くことになった。全員、賛成しない。



修身科の撤回


東京大学から三人の教授(城戸又一、金子武蔵、そして『民主主義』を書いた尾高朝雄)が招かれたが、城戸は「道徳の根本問題は政治をよくすることだ」と言い、尾高は「天皇が道徳の中心だという内容は論理的に矛盾する」とまで言った。

翌日11月27日、天野はこの新しい修身科を撤回した。天野の「退き際」の爽やかさ、潔さは彼の勇気の表われであろう。