チーム吉田


吉田と天野は、イールズ事件や、さらに日本の秀才たちが集まると思われていた京都大学で、国民の税金で勉強させてもらっている将来のエリートたちが、天皇陛下を侮辱する現状を見せつけられた時、日本亡国の危機を見たのだろう。

そして、戦闘的な共産主義者の傍若無人な行動を政府転覆の企てと読んだ。正確な読みであった。

吉田や天野は、このような共産主義者たちを日本だけでなく、世界中で見せられているアメリカは、いずれ武力対決に追い込まれるであろうし、進んで対決すると信じていた。

マッカーサーがレッドパージを日本政府・吉田首相に命令した時、吉田や天野たちの保守派は自分たちの正しさが証明されたと思ったのも当然である。



米ソ対立の足音


米ソがぶつかり合うという見方は、二国間の最も友好的な時にさえあった。

1946年2月、アメリカの民主主義伝道熱が、疲労困憊し、虚脱状態にあった日本国民を翻弄していた時、エマーソンはバーンズ国務長官に「日本の特高、即ち共産主義弾圧のプロは、いつの日か自分たちにまた出動の要請があるとの確信を持っております」と報告している。

エマーソンは、「米ソ戦争や特高の復活を期待しているのは、軍国主義者たちが白昼夢を見ているからでしょう」と片付けた。



特需到来の伝道師


だが、エマーソンに尋問を受けた日本の特高(特別高等警察)は、驚くべき正確さで、「アメリカは戦略上、日本をソ連に対する軍事作戦地域として必要とし、その結果、不測の事態に備えて日本が工業化されることを認めるだろう」と予期していた。

朝鮮戦争は彼等の洞察力の深さを証明した。


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厖大な「朝鮮特需」は日本を劇的に活気づかせ、戦後日本が「経済大国」になってゆく。