D-Day


ジョンソン国防長官は、統合参謀本部議長のオマー・N・ブラッドレー陸軍大将を連れて、1950年6月18日午前零時13分、羽田に到着した。

ブラッドレーは、アメリカの大英雄である。ナチス・ドイツの崩壊の始まりとなる連合軍のノルマンディ大作戦(1944年6月6日)を指揮したのは、ブラッドレーとアイゼンハワーであった。

この6月6日は、「D-Day」と呼ばれ、最も有名な日となってゆく。「D」は「Decision」(決心、決意)の略である。


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オマール・ブラッドレー


訪日の意図


この2人は、マッカーサーと会談するためだけに来日したのだ。ジョンソン長官は、羽田での記者会見で、「私は日本に来て、マッカーサー元帥の卓越した指導の下に、アメリカ占領軍が成し遂げた歴史的成果を自ら見ることが出来るのを誇りに感じている」「日本の要人と会うことは、まだ別に考えていないが、必要なら会談することもあるかもしれない」と言った。

そしてジョンソン長官は、いとも簡単に嘘をつく。

国防省(ジョンソン長官)と国務省(アチソン長官)との二回に亘る極秘会議で、対日講和に関して意見の対立を解消することが出来なかったことが、マスコミに噂として流れていたので、ジョンソンは羽田で

「私とアチソン国務長官との間に対日講和問題について意見の相違があるというが、私は長官とそのようなことを議論したことはまだない」

と言明した。



30年後の真実


30年の時効で、アメリカ国立公文書館の極秘文書が公開になっていなければ、私は極秘会議録を探し出すことも出来ず、このジョンソン長官の明らかな嘘も「嘘」と断言できなかったろうし、ジョンソンの発言が「歴史の事実」として通っていたであろう。

このように、歴史の「真実」が当事者の嘘によって伝えられることは、数えきれないほどある。

マッカーサーの「私は日本国憲法に何等関与もしていない」は、その顕著な例である。