ダレス特使の訪日


トルーマン大統領は、この手紙(1951年1月10日付)の中で、自分の考えをダレスに告げる。

「アメリカは、日本列島の防衛に大量の軍隊を注ぎ込む用意がある。日本が自己防衛できる能力を段々と身につけることを望んでいる。また、アメリカは、日本が再び侵略的になって他国に攻撃をしかけてくる可能性を無くすため、他の太平洋諸国とも安全保障条約を結ぶつもりである」

「頭に入れておいてもらいたいのだが、平和条約を提案するに関して、我々の最も重要としている目的は、日本国民を、世界の自由陣営へ引き込むことにあり、日本が帝国主義的な共産主義の拡張を抑えるため、その役割を十分に果たすことを請け負わせることにある」


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朝鮮戦争への介入宣誓書にサインするトルーマン大統領



1951年1月25日、ダレス特使は同夫人を同伴し、平和条約を書き上げるため、午後8時35分に羽田に到着した。マッカーサー元帥夫妻とシーボルドが羽田に出迎えた。



全面講和論、終局


ダレスとマッカーサーが日本の平和条約と安全保障について話し合っている間、吉田首相と川上貫一衆議院議員(共産党)が、1月27日の衆議院本会議で、互いを侮辱し合った。

川上「政府は終戦処理費を朝鮮戦争のために使い、国土を軍事基地として提供しているだけでなく、旧兵器工場を復活している。これはポツダム宣言、極東委員会決定に反するものだ。労働者は武器、武装警察官監視のもとに軍事的ドレイ労働を強制され、これに抗議した平和を愛する労働者は弾圧されている。......日本独立と安全は全面講和と全占領軍の即時撤退によってのみ守られる」

吉田「いまの議論は要するに共産主義の宣伝にほかならないから、答弁の要はない」

この「質疑応答」は、川上議員の除名へと発展した。衆院運営委員は、川上議員を懲罰委員会にかけることに決めた。3月29日、衆議院本会議は、賛成239票、反対71票で川上を除名した。



吉田の演説


2月12日、ダレスが東京を去った翌日、吉田首相は国会に報告をする。

「今回の話し合いを通じて私が特に深く感銘いたしましたことは、わが国に対する米国の好意の銘すべきものがあることであります」

「ダレス氏が、さしあたり、もし日本が希望するならば、日本に対する外部からの侵略を排除するために、米国の兵力による援助を与うる用意があるとの意向を表明せられたのであります。この米国と協力関係に入るということは、国際の現状のもと、最も適当した策であります」

「講和問題が、かように推進せられるに至りましたことは、マツカーサー元帥の日本に対する日ごろの深い理解と、多年の間の不断の支援によるところであります」

この吉田首相の国会演説さえも、検閲のためマッカーサーに提出され、彼の承認を受けていた。占領末期のこの時でさえも、吉田はマッカーサーの許可をもらわずには、大切なことは何も言えなかった。

吉田は、マッカーサーの恐ろしさを十分に認識していた。