トルーマンの動揺


アメリカ軍は、韓国軍を援護するため出動したが、瞬く間に崩れだした。韓国軍と共に、恰も日本海へ突き落とされそうになっていた。

だが、共産主義との戦争は、第三次世界大戦になる可能性があると恐れたトルーマン大統領は、慎重な態度を変えない。

トルーマンの慎重さは、マッカーサーには優柔不断と映った。

「トルーマン、敵前で動揺したか」とマッカーサーは見たのだ。

この動揺は、遠い戦場にいる兵士にまで敏感に伝わるものである。トルーマンの動揺は、実戦では自滅行為であると、実戦で抜群の戦闘能力を証明した元帥が思ったのは当然であろう。


原爆使用の是非


トルーマンは、マッカーサーの伝説的な威信と尊大さに強い不快感を持っており、また、国境を無視して、アジア全土で共産主義と一戦を交えようとする彼の熱意を非常に危険であると警戒していた。

そして、マッカーサーから原爆を取り上げるかのように、トルーマンは、1950年7月27日の定例記者会見で、「私は現在もなお平和を強く希望している。朝鮮の戦乱で原子爆弾を使用することは考えていない」と断言した(この4カ月後、「原爆を中国軍に対し使用するかもしれない」と言った)。


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刺客


8月6日、トルーマンは、W・アベル・ハリマンに伝言を持たせて東京に送った。

「マッカーサーに2つのことを伝えてくれ」「1つ、私は彼が望むものは全て与えるつもりだ。2つ、私は、彼が中国の共産主義者を戦争に引き摺り込むようなことをして欲しくない」

さらに、ハリマンはマッカーサーに「トルーマン大統領が望んでおられることは、アメリカが台湾の蒋介石を支持している、というような印象を与えないようにすることである」と伝えた。

マッカーサーは、「私は大統領と同じ意見ではないが、私は一兵士であり、上官の命令には従う」と返答した。


大統領の権威


この話し合いから18日後、8月24日、トルーマンとマッカーサーの間に大きな火花が散った。

火傷したのは、マッカーサー。

トルーマンが大統領として振る舞い、マッカーサーもそれを思い知る。