マッカーサー賛歌


翌4月13日の「天声人語」でも、マッカーサー讃歌は続く。

「マックアーサー元帥ほど日本人に広く深く影響を与えた外国人はない。ペルリといえどもマ元帥には遠く及ばない。また彼ほど大多数の日本人に親しまれた外国人も少い。......バターンいらい60歳から70歳までの十星霜、日曜も誕生日も休まぬ労苦に満ちた歳月だった。講和の完結も見ず信念に殉じてやがて日本を去るマ元帥に対して『太平洋の偉大なる懸け橋』として深い敬意と惜別とを感ずる」


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バターン号で厚木海軍飛行場に到着したマッカーサー


占領初期、マッカーサーに挑戦し、2日間(昭和20年9月19日、20日)の発行停止を喰らった『朝日新聞』は、自ら反省し改心して、「マッカーサー万歳」組の広報役になったのか。それとも、マッカーサーの「洗脳」は、これほど鮮やかだったのか。


陛下とマッカーサー


4月15日、午前11時52分、天皇陛下は皇居を出られ、アメリカ大使館にマッカーサーを訪問された。マッカーサーは玄関先まで出迎えた。

天皇はお別れにこられたのだ。

45分間の最後の対談となった。これは天皇の11回目のご訪問であった。



賞賛の嵐


4月16日、衆・参議院は、マッカーサー元帥に感謝決議文を差し上げることを決定した。経団連も、同日、感謝声明文を発表した。

4月16日、午後一時、東京都議会は臨時会議を開き、感謝決議文を決議し、副知事が羽田でマッカーサー元帥に手渡した。

「マッカーサー元帥は1944年日本進駐以来、平和と人道に立脚した高く勝れた精神によって敗戦による混乱と窮乏のわが国民を指導せられ、......講和条約締結への希望が輝く今日の姿を築くに至った。特にわが首都東京は戦災の影響もっともはなはだしく、......閣下の絶えざる激励と理解ある指導とによって都民生活は次第に安定し、首都の復興に成果をあげ得たことは都民のひとしく感謝感激に堪えないところで、閣下の偉大な功績と卓絶した識見とは、都民の永遠に忘れることのできないものである。......東京都議会は630万都民を代表し、全員一致の決議で深厚な感謝の誠意を表すものである」(『朝日新聞』1951年4月14日)

東京都議会は、B29の大空襲で30万人の都民が殺されたことを忘れていたのであろう。