惜別の念


マッカーサーの解任から3日後、4月14日、吉田首相がマッカーサーに宛てた手紙は彼の驚きをよく表わしている。

「あなたが、我々の地から慌ただしく、何等の前触れもなく出発されるのを見て、私がどれだけ衝撃を受けたか、どれだけ悲しんだか、あなたに告げる言葉もありません」


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4月16日は、マッカーサー元帥夫妻と令息アーサーが愛機「バターン号」で本国へ帰る日である。

アーサーは、本国の土を踏んだことはまだ一度もない。マッカーサーの忠実なホイットニー民政局長も、GHQを辞任し、元帥と共に本国へ帰る。

アーサーは、本国の土を踏んだことはまだ一度もない。マッカーサーの忠実なホイットニー民政局長も、GHQを辞任し、元帥と共に本国へ帰る。



都民の涙


マッカーサーが、1945年8月30日の猛暑の午後2時5分、厚木に到着した時の様子について、『朝日新聞』の記述を引用したので、離別も同新聞を引用する。

「この朝6時25分、マ元帥夫妻、令息アーサー君らは自動車で米国大使館を出発、警官一万余名、婦人部隊をまじえた武装将兵が立並ぶ15キロの道を羽田空港に向った。別れを惜しむ二〇数万の都民は沿道にギッシリつめかけて思い思いに星条旗、日の丸を持ち、手を振って見送った」


マ元帥、バンザイ!


「羽田空港には滑走路の〝バターン号〟の前に歓送式場が設けられ、リッジウェイ最高司令官をはじめ連合軍、米軍高官や各国代表、日本側は天皇の御使三谷侍従長、吉田首相以下の閣僚らが居並ぶ。閲兵を終ったのち元帥は見送りの一人一人と固い握手をかわし、短いが感慨深い式を閉じた。5年8カ月間日本のために心を砕いた元帥との別離の瞬間、バンザイの声がわき上った。タラップを登り、無表情なうちにも深い愛惜の情をこめて右手を静かに振りながら機上の人となった元帥――かくて7時23分、銀色の胴がすべるように日本の土を離れて行った」

マッカーサー一行は、ホノルル、サンフランシスコ、ワシントン、ニューヨークで、空前の大歓迎を受けた。