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From:小川忠洋近代史講座
小川フェロー・西鋭夫研究室
研究助手・岡崎匡史より


5月15日を迎えようとしております。
今から、85年前の日本。昭和の政治家を震撼させる出来事が起きました。

それは、クーデター。

1932(昭和7)年5月15日、海軍将校・陸軍士官学校候補生らが決起。

青年将校が首相官邸を襲撃。

狙われたのは誰か?

「憲政の神様」とも評された犬養毅(いぬかいつよし・1855-1932)。

犬養毅は、毅然とした態度で青年将校を抑えとどめる。


「諸君はいったい、なんの用で来たのか」「乱暴なまねはするな、靴ぐらい脱いだらどうだね、おたがい話せばわかることだ」

しかし、将校は、、、


「問答無用、撃て」


将校が発砲した弾は頭部を貫通。こめかみに入った弾丸は、鼻の辺りに止まる。だが、出血が止まらない。意識は薄らいでいき、犬養は夜中に死去した。

これが世に言う「五・一五事件」である。


喜劇王チャップリン


「五・一五事件」には逸話がある。

チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin・1889〜1977)の暗殺計画も練られていたことだ。

チャップリンは、来日していた。世界旅行の最中に日本に立ちよっていたのだ。

なぜ、チャップリンが狙われたのか?

青年将校たちは、、、

アメリカ文化や西洋文化にかぶれた連中を効率よく殺すことができる

と考えたからだ。

5月15日、首相官邸で開かれる歓迎会にチャップリンは招かれている。チャップリンも、出席予定。

さあ、運命の日。

「相撲を見にいきたい」

だだをこねるチャップリン。歓迎会を2日後の5月17日に延期させた。

チャップリンの気まぐれな性格が吉とでる。運良く惨事を免れた。

5月18日、犬養毅の葬儀が執り行われ、チャップリンから弔電が寄せられた。

「友国の大宰相犬養毅閣下の永眠を謹んで哀悼す」

チャップリンは悲劇を愛することができたのだろうか、、、悲劇から喜劇へ。

「五・一五事件」を契機に「政党政治」は終焉。斎藤実(さいとうまこと・1858〜1936)を首班とする挙国一致内閣が成立した。

その斎藤実も、「二・二六事件」で射殺される運命にあった。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にさせて頂きました。
大野裕之『チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男』(メディアファクトリー、2007年)
木戸幸一『木戸幸一日記 上巻』(東京大学出版会、1966年)
中野五郎『朝日新聞記者の見た昭和史』(光人社、1981年)