blog27.jpgFrom:岡崎 匡史
研究室より

「小麦戦略」では、日本の学校給食に否定的な印象を与えたかもしれません。

日本に脱脂粉乳や小麦が入ってきたのは、好意的なものもあります。

たとえば、「ララ物資」です。


アジア救済連盟

「ララ」とは、「アジア救済連盟」(Licensed Agencies for Relief in Asia, LARA)の略称。

米国からの救援物資を一挙に扱った団体で、アメリカの宗派を超えた宗教団体や労働団体など13の団体によって結成された。

日本側の「ララ」の責任者はエスター・B・ローズ女史(1896-1979)。ローズ女史らが中心となり、運営は厚生省社会局が担当。

クエーカー教徒のローズ女史は、東京フレンド女学校の教師を長く務めた。ヴァイニング夫人の後任として、皇太子殿下(今上陛下)の英語教師も務めたことでも知られる。


救援物資

敗戦の混乱で十分な活動ができない厚生省にとって、「ララ」の活動は救いの女神であった。GHQもこれ幸いにと「ララ」の活動を支援。

1946(昭和21)年7月、ララの代表者・GHQ幹部・厚生省幹部が集まり、アメリカからの物資を受けれる体制を検討した。

1946(昭和21)年11月30日、関係者たちが首を長くして待ちわびていた貨物船「ハワード・スタンズベリー号」が横浜港に到着した。

食糧や衣類などの貴重品が山のように積まれた船の物資は、大型トラック約100台分に相当した。その後、続々とララ救済物資が日本に届けられた。

御歌

日本政府はララの献身的な活動に深い感謝。

1947(昭和22)年8月31日、国会は「ララ」に対して感謝決議を行った。

「ララ」の活動は国会だけでなく、昭和天皇にも達していた、、、

昭和天皇と香淳皇后はララの物資が保管されている横浜の倉庫にまで足を運ばれ、ララからの支援物資に深く感謝された。

香淳皇后はそのときの感動を御歌として詠まれている。


   ララのしなつまれたる見てとつくにの

           あつき心になみだこぼしつ

   あたゝかきとつくに人の心づくし

           ゆめなわすれそ時はへぬとも


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers, Public Health and Welfare Section. 1949. Mission and Accomplishments of the Occupation in the public Health and Welfare Fields. Tokyo: Public Health and Welfare Section.
大磯敏雄『混迷のなかの飽食』(医歯薬出版株式会社、1980年)
厚生省『ララ記念誌』(厚生省、1952年)
タタラ・トシオ『占領期の福祉改革』(筒井書房、1997年)