星降る甲板


横浜港を出た最初の夜、甲板でチーク材の長椅子に寝そべって夜空を見上げた時、星の数と美しさに驚嘆した。「無数のお星様」「星が降る」は本当だ。流星も無数に流れ、懸ける願い事もなくなったほど多かった。

香港からの留学生は夜になっても船室に戻ってこず、ほとんど会うことはなかった。別の船室に愛人でもいたのだろう。


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ヨットの「船長さん」


船では1日4回食事があり、各自、テーブルの席が決まっていた。午後6時に始まった夕食の時、男たちは背広を着て、ネクタイを締めて席についた。私は白い半パンツ、白いワイシャツ、白いテニス・シューズ。運動会である。

2日目の夜からは私も紺のブレザー、白いワイシャツ、エンジ色のネクタイと薄灰色のズボンにチョコレート色の靴で十分に盛装をして夕食に出た。同席していた人たちから「ヨットの船長さんみたい」とひやかされた。誉められていたのか、笑われていたのか分からなかったので、「サンキュー」と礼を言った。

英語が理解できていなかっただけでなく、白人たちの表情も読めなかった。白人は、みんな同じ顔に見えた。私が学生の頃、日本に外国人はほとんどいなかった。当時、「外人」は白人を意味し差別語ではなかった。


飽食の宴


夜10時になると夜食がもうけられた。「ビュッフェ」(バッフェイ)と呼ばれるもので、日本のバイキングである。船では食べ物しか楽しみがないかのごとく、「これでもか」というほど食物が積んであった。

毎夜、ライブ・バンドでパーティーがあった。「スロー・ダンス」という言葉は知っていたが、実際に踊ったのはこの時が初めてだ。ホノルルに住み、優雅な生活をしているという雰囲気をもった年上の女性(船室はファースト・クラス)に毎晚教えて頂いた。

映画も毎晚上演されていた。船酔いになるかなと心配していたが、船が大きかったのか、夏の太平洋が静かだったのか、船が動いていないのではないかと思うほど揺れも振動もなかった。


アロハ・タワー


10日目の朝食の後、甲板に出た。ホノルル(オアフ島)が間近だと聞いていたからだ。何も見えない。美しい藍色の太平洋が朝陽を反射している。

突然、水平線の膜を突き抜け、ホノルルのアロハ・タワーが出現した。「陸が見えた」という衝撃のような感動を受けた。他の建物は全く見えず、大型客船が停泊する埠頭に、1926年に建てられたアロハ・タワーだけがゆっくりと高くなってゆく。

アロハ・タワーがホノルルで一番高い建物だった。今ではナンバー・ワンの面影はなく、ショッピング・センターとして残されている。おおらかな船旅の遺跡である。



西鋭夫著『日米魂力戦』

第1章「遊学1964年」-8