ハワイ上陸


ウィルソン号が埠頭に着いた。余韻の上に余韻を重ねたようなハワイアン・ミュージックに合わせて、美女20人が全員長い髪を波に任せたかのように踊っている。

私たちの楽園到着を大歓迎してくれているのだ。南国の花の香りがたちこめていた。

フラ・ダンサーの1人が私の首にピンクの蘭のレイをかけ、両頰にベタッとキスをしてくれた。ハワイが大好きになった。


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入国面接


フラダンスが終わると、白い制服をキチッと着こなした入国管理局の男が待ちかまえていた。

男「パスポート、プリーズ」(ニコリと笑った)

私「パスポート?」(聞きなおさなくても良いのに......)

男「イエス。アー・ユー・ア・スチューデント?(学生さんですか)」(別の単語を使って私を混乱させる作戦をとったのか)

私「アー・ユー・ア・スチューデント?」(山彦である)

男「ノー。ドゥー・ユー・ハブ・ヨァー・パスポート?(旅券を持っていますか)」

私「アー・ユー・ア・パスポート?(あなたはパスポートですか)」

男「パスポート、プリーズ!」(怒鳴っているのか、懇願しているのか、分からない)

私「マイ・パスポート」(と威厳ある旅券を手渡す)

私の後に列ができている。入国管理の人はニコリともせず、スタンプをバンバンと押し、下を向いたまま「頼むから早く行ってくれ」という無言で旅券を返してくれた。


兄との再会


活火山で有名なハワイ島のヒロに在住していた私の兄(七歳上)の友人が、アロハ・タワーに出迎えに来てくれていた。彼のオープン・カーに乗せてもらい、日本人の憧れの的であったワイキキへ連れて行ってもらった。

今、ワイキキは大都市ホノルルの海辺の一角に、「旅行者専用の海水浴場」を設けてあるという風景であるが、1964年の7月、黄金色の砂のワイキキはキラキラと美しかった。

現在ワイキキ沿いに走っている4車線の道路は、当時2車線で信号さえもなかった。種々の花々が道路脇に咲き乱れ、ヤシの木ももっと沢山風に揺れていた。横断歩道のないところでも、道路を渡ろうと立っていると自動車が止まってくれた。


楽園の香り


ホテルも少なく、高層ビルもなく、砂浜から緑のベルベットに覆われた切り立った山々が全部見えた。ワイキキは、楽園の名にふさわしい開放惑に溢れ、甘い素朴さが漂っていた。

ホノルルに一週間滞在し、観光に集中した。ハワイ大学のキャンパスも見に行った。樹木がうっそうと茂っており、写真でさえ見たこともない美しい花々が咲いていた。

どこへ行っても花の香り。

そして、みんなゴム草履で歩いている。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第1章「遊学1964年」-9