ヒロでの歓迎


7月末、ホノルル(オアフ島)からハワイ島のヒロへ飛んだ。今ではジェット機で30分の距離だが、当時はプロペラ機で60分ほどかかった。ヒロに着陸して、驚いた。割り箸を割ったような短い2本の滑走路だけで、これといった建物もない。

飛行機から降りると、兄夫妻とその友人10名ほどがワッと寄って来て、私の首に赤・白・黄色のプルメリアのレイ、ピンクの蘭のレイ、白いジンジャー(ショウガの花)のレイを次々とかけてくれた。

前が見えない。甘い花の香りで、気絶しそう。兄夫妻の家に居候し、焼肉とマンゴーを主食として食べまくった。

庭の芝生を週2回刈るのが私の「居候代」。


「平和部隊」訓練所


英語は勉強しなければならないと自覚していたので、毎晚テレビを相手に英会話の習い事のマネをしていた。さらに週3回、夜、英会話教室へ通った。普通の教室ではなく、無料の「平和部隊」訓練所の教室である。

平和部隊は、ケネディ大統領が設立した海外ユートピア創建隊。


ジョン・F・ケネディ


1960年、米国史上最年少の43歳で大統領に選出されたケネディは、1963年11月22日、テキサス州ダラス市で歓迎車の後席でジャクリーヌ夫人と熱狂的な群衆に手を振っていた時、ライフル銃で頭部を狙撃され暗殺された。

この衝撃的なニュースは、劇的な形で(リアル・タイムで)日本に伝わった。


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NHKが日米間を結ぶ史上初めての衛星放送の実験を行っていた11月23日の午前8時58分に「ケネディ暗殺」がアメリカから飛び込んできた。

この暗殺が起こった時、大統領専用機でディーン・ラスク国務長官らの閣僚たちは東京へ向け飛んでいたが、太平洋の真ん中から引き返した。ラスク長官は、ベトナム戦争を強引に遂行する閣僚の一人となる。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第1章「遊学1964年」-10